風光明媚な名城
唐津城は佐賀県唐津市東城内、満島山の頂に位置し、唐津湾の秀麗な景色を背負い、海城とも呼ばれています。また、舞鶴城という別名でも知られ、その名のとおり松浦川の右岸には国の特別名勝である虹の松原が広がり、翼を広げた鶴が舞うように美しい城郭であったとされます。
現在の模擬天守は昭和41年(1966年)に築かれ、5層5階の構造を持ちます。
満島山の麓から山頂までエレベーターが設置されており、足に自信のない方でも簡単に観覧できます。
築城は慶長13年(1608年)、豊臣家の家臣でありながら関ヶ原の戦いで東軍についた恩賞として寺沢広高がこの地を治めるようになり、その中心として築いたとされます。
その際には唐津湾内で東側と地続きであった満島山を切り離すことで松浦川の河口位置と流路を変更する治水工事を施すなど、かなり大規模な工事があったとされます。その際に防風林として設置された松林が、現在の虹の松原のもとになったとされています。
周辺工事は大規模でありながら築城は極めてスピーディで、主要構造部には廃城となっていた名護屋城のものを流用し、近隣諸大名の力を借りるなどして執り行われたそうです。
慶安2年(1649年)に播磨国明石城主であった大久保忠職が入城して以来、松平氏、土井氏、水野氏、小笠原氏と譜代大名が代々この城に入り、幕府からも重要な拠点であると認識されていたことが分かります。
近年では歴史ブームのおかげで来訪者も増えており、夜間は季節を問わずライトアップもされ、城内の史料や武具類の展示には多くの人が首を伸ばして見入る姿が見えます。
当時の絵図や図面等が現存しないため、現在の復元天守は慶長の頃の様式をかたどった架空のものですが、海の上に浮かぶようなその美しさと近隣の風光明媚な景色は、おそらく築城当時から変わらぬものでしょう。
交通アクセスもJR唐津線の唐津駅から徒歩十五分ほどとたいへんに容易です。近隣には学校、市役所などが並んでおり、現代においても唐津市を代表するスポットとして市民に愛されています。