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城情報

城ガールとは

歴史好きの女性を「歴女」、刀剣好きの女性を「刀剣女子」と呼ぶように、「城ガール」とは、お城が好きな女性のことを指します。もともと日本の城郭に興味がある場合だけではなく、歴史好きから関心を持ったり、大河ドラマや映画などで好きになった武将ゆかりの城に興味を持ったりと、城ガールになる理由は様々です。

これまで城イベントにおいて、参加者の多くは男性でした。しかし、城ブームが広がる中、城ガールも増加。全国各地の城内にも城ガールの姿を見ることが当たり前となりました。

城ガールが愛してやまない城にはどのような城があるのでしょうか。ここでは、城ガールの特徴と城ガールに大人気の城について紹介していきます。

城ガールについて

現存12天守・犬山城
現存12天守・犬山城

日本の城が好きな女性のことを「城ガール」または「お城女子」と呼びます。たびたび歴女と同一視されますが、日本の歴史や歴史上の人物が好きな歴女に対し、城ガールの興味の対象はあくまでも城郭です。2006年(平成18年)における「日本100名城」の選定をきっかけに、城郭に関するSNSやアプリが続々と登場することで、城に興味を持つ女性たちが増えました。

かつて日本には、土塁や堀を掘っただけの要塞や、曲輪、石垣だけのものなど、小さな城跡を含めると25,000もの城が存在したと言われます。しかし時代の流れにより、多くの城が破却されたり、戦火に巻き込まれたりした結果、姿を残している城郭は12城しかありません。それ以外の城は新たに再建されたもの。また、廃城となった城跡は学校や公園が建てられることで多くの人から親しまれたり、価値のある遺構が重要文化財に指定されたりと様々です。

このような日本の城の歴史について、城ガールは城に関する知識や情報をはじめ、城の魅力についてより詳しくなるための努力を惜しみません。行動力もあるため、気になる城があれば、1人または同じ城ガールと共に城巡りの旅に出かける城ガールも数多くいます。次章では城ガールに人気の城について詳しくみていきましょう。

城ガール一押しの現存12天守

現存12天守・彦根城
現存12天守・彦根城

ここでは城ガールがよく訪れる「現存12天守」についてご紹介します。現存12天守とは「江戸時代以前に建築された城郭のうち、天守が現在まで残っている天守閣」のこと。天守がある城は明治時代の廃城令による大規模な取り壊しや昭和時代の大戦による焼撃などで失われ、最終的に残った天守は12城となりました。
現存12天守は、青森県にある弘前城をはじめ、長野県の松本城、福井県の丸岡城、愛知県の犬山城、滋賀県の彦根城、兵庫県の姫路城、島根県の松江城、岡山県の備中松山城、香川県の丸亀城、愛媛県の伊予松山城宇和島城、高知県の高知城が挙げられます。これらの中から、さらに城ガール一押しの城郭を見ていきましょう。

漆黒の名城「松本城」

国宝・松本城
国宝・松本城

現存する12天守のうち、5層6階の天守をもつ城郭として知られている松本城は、国宝5城に指定されています。1504年(永正元年)、松本城の前身となる「深志城」(ふかしじょう)が築城されてから、おおよそ500年以上の歴史をもつ古城です。白い天守が多い日本の城において、松本城は城壁の上部は白漆喰、下部の下見板は黒漆喰で塗られており、白と黒のコントラストが映える城。北アルプスの山々を背景に、内堀の水面に漆黒の天守を映す様子は、他の城郭では見ることのできない景色です。

また、松本城は「連結複合式」の天守を持つ城としても知られています。渡櫓で連結されている大天守と乾子天守は戦国時代末期のものですが、辰巳附櫓(たつみつけやぐら)と月見櫓は江戸時代初期に建てられたもの。このように異なる2つの時代に天守や櫓が複合されている城郭は珍しく、国内では松本城のみです。

純白の名城「姫路城」

世界遺産・姫路城
世界遺産・姫路城

5層天守を持つ姫路城は、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)をはじめ、「池田輝政」(いけだてるまさ)や「本多忠政」(ほんだただまさ)など数多の戦国武将によって「近世城郭の最高傑作」まで高められた城です。大規模な天守を持つ姫路城は、外観の美しさと軍事的な役割をかね揃えた構造が評価され、1993年(平成5年)日本初の世界遺産に指定。また国宝5城としても毎年多くの城ガールが訪れています。
姫路城は1333年(元弘3年)姫山に砦が、1346年(正平元年)に前身となる城が築城されて以降、大きな戦塵にまみれることなく、大小の天守や櫓など100棟近くの建造物が現存していることから、「不戦・不滅の城」とも呼ばれています。

また姫路城は城壁や屋根瓦の目地が白漆喰で塗り込められており、白い外観がまるで天に向かって羽ばたこうとしている白鷺の群れに見えることから、「白鷺城」としても有名です。

なお、姫路城の天守は5層6階地下1階の大天守と3つの小天守が渡櫓でつながった連立式天守。唐破風、千鳥破風や数多くの屋根が重なり、実に優美な構成になっています。

石垣の名城「丸亀城」

重要文化財・丸亀城
重要文化財・丸亀城

3層3階の木造天守をもつ丸亀城は、現存12天守の中で最も小さい平山城です。「生駒親正」(いこまちかまさ)・「生駒一正」(いこまかずまさ)親子が1597年(慶長2年)から5年かけて築き上げました。標高約66mに築かれた石垣に鎮座することから「石垣の名城」として知られています。現存12天守であり、重要文化財7城のひとつである丸亀城は、江戸時代初期の城郭石垣を築く技術が最高水準に達したときに造られた城です。石垣にはあらゆる工夫がなされており、野面積み(のづらづみ)や算木積み(さんぎつみ)など様々な積み方が採用されており技術の変遷を知ることが可能。なお、三の丸北側にある石垣は、隅角部が算木積みされており、丸亀城の石垣の中で最も高く美しい「扇の勾配」として知られています。

城ガールが訪れたい三名城・三大名城

三大名城・姫路城
三大名城・姫路城

現存12天守の他にも城ガールに人気の城郭は国内にたくさん存在します。例えば、姫路城をはじめ、愛知県の名古屋城、大阪府の大阪城、熊本県の熊本城などは毎年多くの城ガールが巡る三名城・三大名城の候補として有名です。ここではそれらの城の特徴を見ていきましょう。

金のシャチホコで有名な「名古屋城」

三大名城・名古屋城
三大名城・名古屋城

1615年(慶長20年)「徳川家康」(とくがわいえやす)により築城された名古屋城は、史上最大の延床面積を誇った5層5階地下1階の天守閣です。
築城の名手「加藤清正」(かとうきよまさ)をはじめ、「福島正則」(ふくしままさのり)など名だたる西国大名20家が名古屋城の築城にかかわりました。

昭和に入るまでは天守を持つ城として残っていましたが、惜しくも1945年(昭和20年)第二次世界大戦の戦火に巻き込まれ、天守や本丸御殿など主要の建造物を失ってしまいます。しかし、学術的にも価値の高い近代城郭として1952年(昭和27年)に国の特別史跡に指定されました。

名古屋城の多くは空襲により焼失したものの、江戸時代の図面や記録など第一級の資料が残されていたことから、他では類を見ない正確さでかつての姿を復元。例えば、再建された本丸御殿には、「狩野探幽」(かのうたんゆう)など狩野派の絵師たちが描いた障壁画の復元模写が飾られています。なお焼失をまぬがれた障壁画の多くが重要文化財に指定され、保管。その他、隅櫓や門などが重要文化財に指定されています。また、国内一の規模を誇る二之丸庭園は、藩主が居城した御殿の庭園。明治時代に庭園の一部をのぞき取り壊されましたが、2018年(平成30年)にほぼ全域が名勝として指定されました。

残念ながら、天守閣は老朽化や耐震性の問題により、復元するまで閉館ですが、天守閣に頂く金の鯱や加藤清正石曳きの像など、名古屋城には見どころがたくさんあり、毎年、多くの城ガール達が四季折々の風景を楽しもうと散策する姿が見られます。

大阪のシンボル・太閤はんの名城「大阪城」

三大名城・大阪城
三大名城・大阪城

1583年(天正11年)天下統一を目指していた豊臣秀吉により、築城が開始された大阪城は、5層6階地下2階の名城です。豊臣時代、石山本願寺の跡地に建築された大阪城は「大坂城」と表記。金の装飾が目立つように下見板は黒く、漆喰まで暗色にした黒い天守でした。しかし1615年(元和元年)大阪夏の陣で大阪城は焼失。徳川幕府によって再建された大阪城は白漆喰を塗り込めた5層5階地下1階の白い天守に。豊臣時代の天守よりも約15m高いなど、豊臣秀吉が築いた大阪城とは異なる大阪城が誕生したのです。

しかし徳川時代の天守閣もまた1665年(寛文5年)の落雷や、1886年(明治19年)の明治維新の動乱などに巻き込まれて大半が焼失。以降、大阪城は天守が存在しませんでした。現在、私たちが目にする天守閣は1931年(昭和6年)市民の寄付により復興されたものです。本丸中央にある天守は金色に輝いており、屋根のいたる所に金色の鯱が配されるなど、金をふんだんに使用したことから「金城」または「錦城」とも呼ばれています。

なお、大阪城公園内には、大阪城の正門である大手門や塀など重要文化財に指定されている古建造物が数多く存在。その他、大阪城には「謎の石組み」と呼ばれる石組みをはじめ、残念石や山里曲輪石垣、巨石群など歴史の深い石垣が多くの城ガールを魅了しています。広大な大阪城を堪能しながら、歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか?

波乱に満ちた名城「熊本城」

三名城・熊本城
三名城・熊本城

築城の名手・加藤清正が当時の建築技術のすべてを投じて築いた熊本城は、1607年(慶長12年)の築城から約400年もの歴史を持つ平山城。天守閣前の広場に大きなイチョウがあったことから「銀杏城」とも呼ばれています。加藤家が改易後は、「細川忠利」(ほそかわただとし)をはじめ、「宮本武蔵」(みやもとむさし)など歴史に名を馳せた武士たちが晩年を熊本城で過ごしたとされています。

熊本城は1877年(明治10年)に勃発した「西南戦争」により、天守や本丸御殿などが焼失。しかし東竹之丸や宇土櫓(うとやぐら)といった櫓は築城当時のまま残っており、約13棟が重要文化財に指定されました。

高く積み上げられた石垣の上にそびえ立つ熊本城は、大天守・小天守の2つの天守からなります。3層6階地下1階の大天守は、四面に千鳥破風、最上階の南北に唐破風の屋根を据えており、実に優雅。松本城と同じく、黒く塗られた外壁も特徴的です。また熊本城の石垣は「武者返し」(むしゃがえし)と呼ばれるもの。下方は勾配が緩く、上へ向かえば向かうほど反り返しが激しく、登ることは困難です。

本丸御殿大広間にある「昭君之間」(しょうくんのま)は、もっとも格式が高いと評価を得ている謁見(えっけん)の間です。床が一段あがった鉤上段が設けられている昭君之間の壁には、中国前漢時代に政略によって匈奴の国王に嫁ぐことになった悲劇の美女「王昭君」(おうしょうくん)の故事が描かれています。

なお、西南戦争で焼失した建造物はいずれも復元されたものですが、2016年(平成28年)の熊本地震の影響により、櫓や石垣を含めた大半の建造物が被害に遭いました。復旧工事が完了するまでは立入規制が行なわれていますが、一部では復旧の進捗に応じた特別公開を実施しています。

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