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国宝5城「松本城」の特徴

国宝松本城

長野県松本市のシンボル「松本城」は、1504年(永正元年)に前身となる「深志城」(ふかしじょう)を築城したのが始まりとされています。1582年(天正10年)小笠原貞慶(おがさわらさだよし)により、深志城から松本城へと改名。その後、小笠原氏、石川氏、戸田氏など城主が移り変わり、およそ500年以上もの歴史を持つ古城となりました。
松本城は、日本に現存する十二天守のうち、5層6階の天守を持つ最古の城として知られています。1929年(昭和4年)に制定された「国宝保存法」において敷地全体が、1936年(昭和11年)に国宝指定。その後、新たに制定された「文化財保護法」によって1952年(昭和27年)には、天守、乾子天守、渡櫓、辰巳附櫓(たつみつけやぐら)、月見櫓の5棟が国宝に指定されました。
現在も多くの観光客で賑わいを見せている松本城。ここでは、城の魅力を歴史とともに振り返ります。

松本城の歴史

松本城は、1504年(永正元年)信濃守護・小笠原貞朝(おがさわらさだとも)が、一族の家臣・島立貞永(しまだてさだなが)に命じて築城させた深志城が始まりとされています。
その後、甲斐国で勢力を拡げていた武田信玄(たけだしんげん)が、深志城から小笠原長時(おがさわらながとき)を追放し、信濃侵攻の拠点として、32年間支配下に置きました。
時は流れ、1582年(天正10年)織田信長(おだのぶなが)によって武田家が滅ぼされると、織田氏と盟約を結んでいた木曾義昌(きそよしまさ)が深志城の城主に。同年「本能寺の変」で織田信長が滅亡すると、信濃の混乱に乗じ、上杉景勝(うえすぎかげかつ)の後ろ盾を得た小笠原洞雪(おがさわらどうせつ)が城主となります。
しかし、小笠原洞雪の統治も長くは続かず、翌月には、小笠原長時の嫡子であり、武田信玄に追放されていた小笠原貞慶(おがさわらさだよし)が、徳川家康(とくがわいえやす)や旧臣の支援を受け、深志城を奪還。このときに、深志城から松本城へと改名されました。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原を侵攻した際、小笠原氏に代わって、移封を命じられた豊臣秀吉の家臣・石川数正(いしかわかずまさ)が松本城に入城します。そして、1593~1594年(文禄2~3年)の間に、城郭や城下町の整備工事に着手、石川数正に引き継ぐ形で息子・石川康長(いしかわやすなが)が、大天守、乾子天守、渡櫓などを手掛けました。現在、私たちが知る国宝松本城は、この時期に整備されたものです。
江戸時代に入ると、石川康長が城主の座を奪われ、飯田藩主・小笠原秀政が入国。その後、戸田氏をはじめ、松平氏や堀田氏、水野氏など、徳川家と深い関わりを持つ譜代大名たちが城主となり、城郭や城下町を整備します。またこの時代に、新たに辰巳附櫓や月見櫓の2棟が造られました。
なお、水野氏統治下の1686年(貞享3年)には「貞享騒動」(じょうきょうそうどう)と呼ばれる農民一揆が起こりました。その首謀者である多田加助(ただかすけ)を処刑した際に、城の天守が大きく傾いたと言う逸話が残っています。巷では多田加助たち農民の怨念だとする向きもありましたが、これは地盤の弱さや支柱の老朽化などが原因として考えられていました。そのため、1903年(明治36年)年から1913年(大正2年)にかけてようやく修復作業に入ります。
その後も再び天守は傾き始め、1950年(昭和25年)から5年の歳月を費やし、あらためて修復。それぞれ「明治の大修理」、「昭和の大修理」と呼ばれています。

松本城の特徴

五層六階の松本城天守
五層六階の松本城天守

標高約590mの松本盆地に築城された松本城は、現存する12天守のうち、5層6階の天守を持つ最古の城として有名です。なお、現存12天守の中でも、5層の天守を持つ城は、日本では松本城と姫路城しかありません。
城壁を覆う壁の上部は白漆喰、下部の下見板は黒漆で塗られました。この白黒の対比が、白い天守が多い日本城の中では珍しく、一説では、豊臣秀吉に忠誠を誓った石川数正が、黒や金を好む豊臣秀吉に忠誠心を示すために漆黒の天守を築いたとも言われています。
松本城の外観は一見5層で、上へ向かうにつれ、建物が細くなる層塔型のような造りです。しかし、建物の内部には、屋根裏部屋のような中3階が存在するため、実際には6層で構成されています。これは、望楼型とよばれる構造で、外観は層塔型でありながら、実際は望楼型という造りも、この城の大きな特徴のひとつです。
また、松本城は、「連結複合式」の天守を持つお城。戦国時代末期に造られた大天守、乾子天守は渡櫓で連結され、後の江戸時代初期には、新たに辰巳附櫓と月見櫓を複合させた、他に類を見ない構造となっています。

松本城・石落と石垣
松本城・石落と石垣

戦国時代に造られた3棟は、常に戦を想定していることから、鉄砲や弓矢を放つための、鉄砲狭間や弓狭間を115ヵ所も設置、さらに1階には敵を標的とした石落(いしおとし)が11ヵ所も。その上、天守の壁は約29cmと分厚く、内堀幅は約60mと火縄銃の高い命中精度が維持できるように、鉄砲戦の備えを持っています。
一方、江戸時代初期に造られた2棟には、戦の備えはほとんどありません。朱漆が塗られた回縁や船底の形をした天井など、優雅さを醸し出す建造物は、この時代が泰平の世であったことが窺えます。
このように、異なる時代の天守や櫓が複合された城は、日本ではこの松本城だけなのです。

松本城のみどころ

松本城と日本アルプス
松本城と日本アルプス

現存12天守の多くが平山城であることに対し、松本城は平城です。天守を囲むように堀が巡っており、日本アルプスの山々を背景として、漆黒の天守を水面に映す姿は、実に美しく、毎年多くのファンを魅了。
ここでは、松本城の人気スポットについて、より詳しく紹介します。

黒門(くろもん)

黒門
黒門

「黒門」は本丸へ続く重要な門です。最高色調の黒を使っていることから、黒門と呼ばれました。一の門には、歴代城主の家紋が付いた軒丸瓦(のきまるがわら)が見られます。これは、天守解体修理のときに、保存しておいた瓦を再利用したためです。
さらに内堀を渡ったところに二の門(高麗門)があります。1989年(平成元年)には、この門に続く控塀(ひかえべい)と枡形を復元。控塀には狭間(さま)があり、対岸の敵を弓矢や火縄銃で攻撃できるようになっています。

太鼓門(たいこもん)

太鼓門
太鼓門

二の丸御殿の入り口にある「太鼓門」は、1595年(文禄4年)に築かれた門です。北側門台上に、登城や火急の合図などの役割を果たす太鼓楼があったことから、太鼓門と呼ばれるようになりました。
また、太鼓門のすぐ横にある総量約22.5tの巨石。この石は、松本城を築城した石川玄蕃守康長が運ばせたことにちなんで、「玄蕃石」(げんばいし)と呼ばれています。なお、明治初期に破却された太鼓門ですが、1991~1999年(平成3~11年)に発掘調査、復元が完了しました。

大天守

大天守・内部
大天守・内部

1,000tある巨大な天守です。柔らかい地盤の上に建てられたため、土台となる石垣内部には直径約39cm、長さ約5mの栂(つが)の丸太が16本、まるで碁盤の目のように埋め込まれています。
その上にそびえ立つ大天守は、5層6階。城壁の上部が白漆喰、下部が黒漆塗りと当時の城郭では珍しい仕上げになっています。
また、松本城の天守内部は、天井が低いことが特徴的です。これは、建物内で抜刀ができないように工夫されたと考えられます。

乾子天守

乾子天守
乾子天守

大天守と渡櫓で連結されている乾子天守は、戦国時代に築城されました。大天守は角柱のみで構成されていますが、乾子天守は角柱の他に丸太柱が使用されていることが特徴です。1階中央にある菅柱をはじめ、2階側柱はすべて築城当時のもので、実に400年以上も経っています。
大天守と同じく、乾子天守も望楼型の構造のため、外観は3層に見えますが、内部は4階の造りです。なお、4階にある火灯窓(かとうまど)は、火を嫌うことから花頭窓とも呼ばれ、天守建築では格式の高い窓とされています。

辰巳附櫓

辰巳附櫓
辰巳附櫓

戦国時代から約40年。泰平の世となった江戸時代初期に新たに築城されました。戦の備えはほとんどなく、石落を設置する場所は板敷きになっています。
大天守の隣に増築された辰巳附櫓は、天守に月見櫓を付けるための役割を持っていました。なお、辰巳附櫓の窓にも乾子天守と同様に、格式の高い花頭窓が付けられています。

月見櫓

月見櫓
月見櫓

1633年(寛永10年)松平氏により増築された月見櫓は、戦の備えはほとんどありません。
柱と舞良戸(まいらど)と呼ばれる桟(さん)を打った薄い引き戸だけの櫓で、月見の際には、この舞良戸を外し、月を眺められるよう設計されていました。
月見櫓の三方は朱色漆で塗られた回縁が巡り、風情があります。また船底の形をした天井には、柿渋が塗られ、優雅な雰囲気を感じられるのが特徴です。

城ガールに人気!松本城周辺の博物館・美術館等

ライトアップされた松本城
ライトアップされた松本城

北アルプス・美ヶ原をバックにした松本城は、黒と白のコントラストが美しく、城ガールにも人気の城です。特にライトアップイベントや「全国氷彫コンクール」の際は、SNS映えする写真が撮影できます。
こちらでは、松本城周辺で城ガールにおすすめのスポットをご紹介しましょう。

なわて通り
なわて通り

松本城の近くにあるのは、「なわて通り」「中町商店街」です。雑貨やこだわりの食べ歩きスイーツなどが楽しめます。
なわて通りはタイムスリップした気分になれるレトロな通り。かつて「河鹿蛙」が多く住んでいたことから、カエルがモチーフの銅像や看板などが多数あります。また「中町商店街」は土蔵造りの建築物が並び、蔵のある独特な景観の商店街です。

旧開智学校
旧開智学校

さらに松本城付近にある「松本市立博物館付属機関重要文化財旧開智学校」はレトロさがかわいらしい校舎。
「擬洋風建築」と呼ばれる、日本の大工技術を工夫し西洋建築に似せて作った建物で、国宝にも指定されました。復元された教室も撮影スポットに。
当時の教材・積み木が展示されている他、彫刻や舶来物のガラスが使われた窓を見学できます。

2002年(平成14年)には、松本城から徒歩約20分のところに、カラフルな外観が特徴の「松本市美術館」が開館しました。
松本市美術館は、人気アーティスト・草間彌生氏の作品が美術館の内外に展示されていて、カメラを持ちながら鑑賞する方も多いです。なかでも美術館外にあるオブジェ「幻の華」は目を引きます。

この他にも、おしゃれなカフェやそれぞれ歴史・特徴がある商店街がある松本城。そんな松本城は、城ガールはもちろん、多くの方が楽しめる場所となっています。

※この記事は、2020年(令和2年)6月時点の情報に基づいて作成されています。
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