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国宝5城「彦根城」の特徴

彦根城

滋賀県彦根市のシンボル・彦根城は、井伊直継(いいなおつぐ)、井伊直孝(いいなおたか)により、20年に亘って築かれた名城です。重要文化財の櫓や、国指定の名勝・玄宮園などを有しており、1年を通して多くの人々が訪れる観光スポット。幕末の大老・井伊直弼(いいなおすけ)を生み出した井伊家が、14代にわたって藩主を務めていました。
彦根城の別名は「金亀城」(こんきじょう)。築城以前、彦根山にあった寺に、金の亀に乗った観音様が安置されていたと伝わっており、これが由来だと考えられています。また、月明りに照らされた彦根城の美しさは、「琵琶湖八景」にも選定されるほどです。
こちらでは、彦根城の歴史や特徴、見どころについて、詳しく説明します。

彦根城の歴史

「彦根城」は1604年(慶長9年)から、天守は約2年、城郭全体は約20年かけて築城されました。元々、彦根の地を治めていた佐和山城をはじめとする複数の城や、寺院の材木・石垣が使用されています。
佐和山城は1590年(天正18年)より「石田三成」の城でしたが、「関ヶ原の戦い」で石田三成が敗れたことにより、城主は戦いの勝者「徳川家康」の家臣「井伊直政」へ。その後、徳川家と対立していた豊臣家と、豊臣家の恩顧を受けていた西国大名を監視するため、徳川家康の命令によって彦根城の築城が開始されました。このときに佐和山城は廃城となり、石垣や多くの建造物が彦根城へと運ばれます。すでに井伊直政は亡くなっており、息子・井伊直継と、その弟・井伊直孝が築城を引継ぎました。
1614~1615年(慶長19~20年)、井伊直孝は「大坂冬の陣・夏の陣」に参加。冬の陣後には手柄を上げたことで家督が譲られ、城主となりました。井伊直孝は江戸幕府2代将軍「徳川秀忠」から4代将軍・徳川家綱に至るまで幕政に貢献し、この間に30万石を所領することとなります。これは譜代大名としては珍しいことでした。そして、彦根藩は幕府領と合わせて35万石を有する藩となったのです。
明治時代に入ると、廃城令により彦根城は解体の危機を迎えました。しかし1878年(明治11年)、明治天皇は巡幸の帰りに彦根を訪れ、そのときに彦根城の保存を勅命。保存を願い出たのは天皇の従妹だという説と、随行していた大隈重信だという説があります。
こうして解体をまぬがれた彦根城は、その天守が1952年(昭和27年)、国宝に指定されました。国宝に指定されている現存天守を持つ城は、彦根城の他に「松本城」「犬山城」「姫路城」「松江城」で、国内に5城のみとなっています。

彦根城の特徴

彦根城
彦根城

彦根城は本丸とその他の曲輪が連なっている「連郭式」の平山城です。軍事的に発達していて、本丸前後に大堀切があり、正面から来る敵と裏手から来る敵、両方の侵入を防いでいます。
また彦根城は、西国大名の勢力を抑える目的があり、急いで築城される必要がありました。そのため、廃城となった周辺の佐和山城や安土城、大津城、長浜城などの石材や木材が利用されたのです。天守は大津城、「佐和口多聞櫓」(さわぐちたもんやぐら)は佐和山城、「天秤櫓」は「長浜城」から移築されたと言われています。
現在、本丸に残る建造物は天守のみですが、かつては藩主の御殿「御広間」をはじめ、「宝蔵」や「着見櫓」(つきみやぐら)がありました。
天守は3階3重で、附櫓(つけやぐら)と多聞櫓が連なる構造。櫓とは、見張り台や攻撃拠点となる建造物のことを指します。また天守の載る石垣は「牛蒡積み」(ごぼうづみ)と呼ばれ、自然石を使用した、堅固な石垣です。
屋根には入母屋破風(いりもやはふ)、「へ」の字型の切妻破風(きりづまはふ)、曲線的な唐破風(からはふ)と多彩な破風が見られ、唐破風には飾り金具が施されています。また2階・3階両方に取り付けられている寺社建築が由来の華頭窓(かとうまど)。連続した階にこの窓があるのは大変珍しく、貴重です。さらに三階には格式を示すと言われる、ベランダのような廻縁(まわりえん)※と、その手すりにあたる高欄(こうらん)もあり、外観を重視した造りとなっています。(※彦根城の廻縁はデザイン上のものであり、利用することはできません。)
天守内部は実戦仕様。狭間(さま)や隠し部屋があります。狭間とは、鉄砲や矢で攻撃するための隙間のこと。彦根城には外側から見えない「隠狭間」があります。外側を漆喰で塗り固めて塞いであり、戦いのときには突き破って攻撃するのです。
このように美しさを重視するだけでなく、戦いのための設備もあった彦根城ですが、一度も戦いの舞台となることはありませんでした。彦根藩のシンボルとしての役割が強かったと言われています。

彦根城とその周辺の見どころ

天秤櫓・西の丸三重櫓・太鼓門櫓・馬屋・佐和口多聞櫓が国の重要文化財に指定されるなど、国宝の天守以外にも様々な魅力のある彦根城。ここでは天守以外の彦根城の見どころをご紹介していきます。

天秤櫓(てんびんやぐら)

天秤櫓
天秤櫓

大手門と表門の合流する要所に建てられた天秤櫓は、左右の櫓が別々の役割を果たすなど、防衛に優れていました。この形状の櫓は、国内では彦根城でしか見ることができません。天秤櫓の前には、尾根を削った大堀切があり、その上に廊下橋がかかっています。敵がこの橋に差し掛かった際、橋を壊すことによって、敵兵の侵入を防ごうとする仕組みでした。

西の丸三重櫓

西の丸三重櫓
西の丸三重櫓

本丸の西側に位置する「西の丸」。その西北に位置する櫓です。三重櫓には、東側と西側に続櫓(つづきやぐら)が連なっています。
西の丸三重櫓と、さらに西の少し離れた曲輪・出曲輪との間には大堀切があり、裏手から侵入する敵に備える要所となっていました。
築城時には家老・木俣土佐(きまたとさ)が出務していたと言われています。

太鼓門櫓

太鼓門櫓
太鼓門櫓

天守を防御する最後の門であった太鼓櫓門。東側の背面部分には壁がなく、高欄の付いた廊下となっており、この構造は大変貴重です。城内合図を送るための太鼓が置かれていたことが、名前の由来だと言われています。
1956~1957年(昭和31~32年)の解体修理に伴い調査が行なわれ、他城の城門を移築した櫓門であると判明されました

佐和口多聞櫓

佐和口多聞櫓
佐和口多聞櫓

多聞櫓とは、長屋のような見た目が特徴で、細長い形状をした櫓のこと。佐和口に向かって左側に延びているのが、重要文化財の櫓です。もともとは右側の櫓と一体となっていましたが、明治時代に入ると門と一緒に解体されました。現在の右側の櫓は1960年(昭和35年)にコンクリート造りで再建され、「開国記念館」として、彦根についての資料を展示しています。

馬屋

馬屋内部
馬屋内部

佐和口多聞櫓近くにある建物です。21頭もの馬が収容可能で、常に十数頭の馬がつながれていました。近世城郭の城内に大規模な馬屋が残るのは、彦根城だけです。
1767年(明和4年)には一部が焼失。馬屋は縮小し、柿葺(こけらぶき)の屋根は桟瓦葺き(さんがわらぶき)へと変えられました。明治時代に建物の南側が壊され、1966~1968年(昭和41~43年)に解体修理が行なわれます。この修理で、大半が失われていた馬繋ぎを修復。屋根も柿葺へと戻りますが、当初の姿に復元することは不可能でした。

登り石垣

登り石垣
登り石垣

城内に5つある石垣です。高さ1~2mほどの石垣が、山の斜面に沿って積まれています。斜面を移動する敵兵の動きを阻むために造られました。
兵庫県の「洲本城」、愛媛県の「松山城」、鳥取県の「米子城」などでしか見ることのできない、全国的にも貴重な石垣となっています。

時報鐘(じほうしょう)

時報鐘
時報鐘

もともと「鐘の丸」に設けられていましたが、城内全体に音が響くよう、太鼓門櫓近くに移築されています。鐘は何度も作り替えられており、幕末期には藩主・井伊直亮(いいなおあき)によって、より美しい音色になるよう、多量の小判を投入して鋳造されました。
定時に鳴り響く鐘の音は、ヒグラシやスズムシといった虫の鳴き声と一緒に、「日本の音風景百選」に選ばれています。

玄宮園(げんきゅうえん)

玄宮園
玄宮園

4代藩主・井伊直興(いいなおおき)によって造営されました。
玄宮園は「槻之御庭」(けやきのおんにわ)と呼ばれた回遊式庭園。中国の瀟湘八景(しょうしょうはっけい)、または近江八景を取り入れたという説と。「玄宮図園」の十景とされる説があります。園内の趣ある建造物・鳳翔台(ほうしょうだい)は、藩主が客を歓待するための客殿でした。

楽々園(らくらくえん)

楽々園の御書院
楽々園の御書院

楽々園は玄宮園に隣接する、「槻御殿」(けやきごてん)と呼ばれた建物です。江戸時代初期に造営が開始され、藩庁の表御殿よりも広大でした。13代藩主・井伊直弼が生誕した場所でもあります。
構成している建物は、「御書院」「地震の間」「楽々の間」など。地震の間は耐震構造のある茶座敷となっており、また、楽々の間は数寄屋建築の茶室で、楽々園の名前の由来となっています。

埋木舎(うもれぎのや)

埋木舎
埋木舎

13代藩主で、幕府の大老も務めた井伊直弼が、17~32歳の間過ごした屋敷です。井伊直弼は、「世の中をよそに見つつも、うもれ木の埋もれておらむ、心なき身は」と自らを埋もれ木に例えた和歌を詠み、この和歌にちなんで「埋木舎」と名付けました。和歌には出世や競争から離れて、文武両道に励もうという思いがこめられており、井伊直弼はこの埋木舎で心身の修練に励んでいたと言われています。

いろは松

いろは松
いろは松

佐和口に向かうお堀沿いにある松並木で、34本の松が残っています。井伊直孝によって植樹された当時は47本の松並木だったことから、いろは47文字になぞらえて「いろは松」と呼ばれるようになりました。
通行の妨げとなるのを防ぐため、地上に根が出ない種類の「土佐松」が高知県より移植されました。

彦根城博物館

彦根城博物館
彦根城博物館

彦根城博物館は、1987年(昭和62年)彦根城の表御殿跡地に、表御殿の復元もかねて建てられた博物館です。彦根城の表御殿は、藩主の住居と藩の政庁をかねた建物。書院部分と広間部分は展示室となっていますが、茶室や庭園、藩主が生活していた御座之御間(ござのおんま)などは、昔のままに復元されています。
さらに博物館の中央に位置しているのは、江戸時代から残っている能舞台。祝事の際、この場所で能や狂言が行なわれていました。
「井伊の赤備え」と呼ばれる具足をはじめ、刀剣や武具、彦根藩主・井伊家ゆかりの茶道具や調度品や古文書、また彦根藩に関する資料などを収蔵。なかには国宝に指定された屏風図や重要文化財に指定されている資料など、91,000件以上の貴重な収蔵史料を展示しています。

城ガールに人気!彦根城周辺のカフェ・ホテル

彦根城の夜桜
彦根城の夜桜

城ガールに人気の彦根城は、天守から絶景が望める城です。季節によって異なる美しい姿を見せてくれるのはもちろん、城内を運行する屋形船に乗ればSNS映えするような写真が撮影できます。また彦根城と言えばゆるキャラ「ひこにゃん」。かわいらしいパフォーマンスをほぼ毎日行なっています。
こちらでは、城ガールにおすすめの彦根城周辺スポットをご紹介しましょう。

夢京橋キャッスルロード
夢京橋キャッスルロード

彦根城の大手門から夢京橋を渡ると、「夢京橋キャッスルロード」があります。夢京橋キャッスルロードは、江戸時代の城下町を再現した、飲食店や土産物屋が並ぶスポット。食べ歩きや買い物などが楽しめ、また「夢京橋あかり館」ではキャンドルづくりの体験もできます。
夢京橋キャッスルロードを進んでいくと大正ロマンあふれる「四番町スクエア」に到着。四番町スクエアは、雑貨屋や飲食店、ギャラリーなどがひしめく商業施設です。建物やガス燈などがレトロ感を醸し出しています。

彦根美濠の舎の商品
彦根美濠の舎の商品

また彦根城の近くにあるのは、「彦根美濠の舎」(ひこねみほりのや)。こちらは和菓子店「たねや」と洋菓子店「クラブハリエ」が併設された施設で、2階のカフェではフォトジェニック(※1)なかわいらしいスイーツが食べられる他、最中やバームクーヘン等も購入可能です。
この他にも彦根城周辺には、パリの雰囲気が味わえるカフェ・スイーツの店「Pomme D'Amour」(ポムダムール)など、城ガールが彦根城散策の際に立ち寄るのにピッタリなお店があります。
またお泊りの際は、「彦根キャッスル リゾート&スパ」がおすすめ。彦根城が眺められるホテルで、エステや大浴場があり、旅の疲れを癒してくれます。

※1 フォトジェニック(photogenic)とは「写真映えする」という意味を持ち、「写真」を意味する(photo)と「~に適した」を意味する(-genic)を掛け合わせた言葉。
※この記事は、2020年(令和2年)6月時点の情報に基づいて作成されています。
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