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城情報

五稜郭の特徴

北海道函館市の中心にある五稜郭(ごりょうかく)は、日本で初めて築かれた西洋式の城郭。日本の城郭様式とは異なりますが、日本式の城郭と同様に五稜郭も軍事要塞です。
江戸時代の後期に函館港が開港し、外交をつかさどる箱館奉行所の移転先として、五稜郭が建てられました。また、「鳥羽伏見の戦い」から勃発した、新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争の地としても知られています。
一般的に「五稜郭」とは、五稜星形の城郭の通称で、日本にはもうひとつ、長野県佐久市に龍岡城五稜郭がありますが、五稜郭と言えば函館五稜郭を指すほど代表的な城郭となりました。
現在は、五稜郭公園として整備されており、毎年5月に開かれる函館五稜郭祭をはじめ、多くの歴史ファンや観光客が足を運ぶ様々なイベントが開催され、函館の代表的な観光スポットのひとつになりました。ここでは、函館五稜郭の魅力について紹介します。

五稜郭の歴史

五稜郭跡
五稜郭跡

五稜郭が築かれた函館市は、1854年(安政元年)に締結された日米和親条約によって、下田とともに開港の地として選ばれた場所です。江戸幕府は鎖国を解いて開国しますが、函館を開港することによって、諸外国との交渉や海岸の防備を行なう幕府直轄地として、最初は函館山の麓に箱館奉行所(はこだてぶぎょうしょ)を設置しました。

しかし、箱館奉行所を建てた場所は、函館港から近く、外国船からの大砲の射程距離だったため、港湾から約3km離れた亀田村にある丘陵地に箱館奉行所を移転しました。移転先の箱館奉行所の周りを土塁で囲んだものが、五稜郭です。当時は五稜郭と呼ばれておらず、正式名称は、亀田役所土塁(かめだやくしょどるい)。これを設計したのは、大洲藩(愛媛県)出身の蘭学者・武田斐三郎(たけだあやさぶろう)です。フランスの軍艦が函館港に入港した際、ヨーロッパの築城技術が書かれた本を箱館奉行所に贈呈しました。オランダ語が読めた武田斐三郎は、それを参考にして五稜郭の構造を設計します。
五稜郭は強固な軍事施設とされていますが、実際には外交機能を備えた役所で、大砲などの武器は備えていませんでした。その代わりに、五稜郭から離れた函館港の弁天岬台場に15~16基の大砲が設置されます。

1867年(慶応3年)、江戸幕府に対して倒幕運動が進み、徳川慶喜が朝廷に大政奉還すると、五稜郭は箱館奉行所から朝廷に明け渡されます。五稜郭の箱館奉行所が奉行所としての役割を果たしたのは、明治維新までのわずか4年間だけとなりました。

1868年(明治元年)には、旧幕府軍と新政府軍による戊辰戦争が京都の鳥羽伏見で勃発。旧幕府海軍副総裁・榎本武揚(えのもとたけあき)の率いる旧幕府軍が蝦夷地に上陸し、無人となっていた五稜郭を占拠します。
ここに、新撰組副長・土方歳三(ひじかたとしぞう)も加わった旧幕府軍が「蝦夷共和国」を建国し、箱館政権が誕生しました。

函館港
函館港

ところがその翌年、新政府軍は函館奪還に向け、攻撃を開始。五稜郭を中心とした戦闘が繰り広げられました。これが、戊辰戦争の最後の戦いとなる函館戦争です。
1869年(明治2年)5月18日、旧幕府軍が降伏して函館戦争は終結。五稜郭は新政府軍に明け渡され、再び明治政府のものとなります。

1871年(明治4年)には、本庁舎や奉行所を札幌に新築する際の材料にするため、五稜郭にあった旧箱館奉行所のほとんどの建物が解体されました。そして、1873年(明治6年)から1897年(明治30年)まで、五稜郭は陸軍省の管轄に置かれ、陸軍兵の訓練場として使用されます。

特徴的な縄張を持つ五稜郭

五稜郭の特徴は、何といっても星形の五角形という非常に珍しい形です。五稜郭には5つの角があり、これは稜堡(りょうほ)と呼ばれる防衛施設。こういった西洋式の星形要塞は、稜堡式要塞(稜堡式城郭)とも呼ばれており、五稜郭は日本で最初に造られた西洋式の城郭になります。

五稜郭は、東京ドームの3倍にあたり、内側が約12万5,500㎡という広さです。設計は、奉行の支配下にあった諸術調所(しょじゅつしらべしょ)の教授役で蘭学者の武田斐三郎が行ない、堀や土塁を造る技術においては、越後の松川弁之助(まつかわべんのすけ)が中心となりました。

約7年の歳月をかけて完成した五稜郭は、中世のヨーロッパで誕生して広まった城砦都市をヒントに築かれています。海からの外国船による大砲攻撃を防ぐためには、従来の日本の城郭では実戦にそぐわないとして、中世ヨーロッパの城郭に倣い、死角が少なく効率的に敵を迎撃することのできる五稜郭が設計されたのです。

五稜郭の星形の周りには土塁が築かれていますが、これを本塁(ほんるい)と言い、幅は約27~30m、高さは約5~7mあります。土塁の周囲には、水堀が造られました。

二の橋
二の橋

星形をした五稜郭の正面は南西側になり、ここの本塁に築かれた石垣は他よりも高くなっています。正面口から内部へは、一の橋、二の橋という2つの橋を渡って入る構造です。
橋は全部で5ヵ所あったとされていますが、函館戦争時に2ヵ所が外されて、現在は3ヵ所だけになっています。また、星形の土塁の南西側には、ひとつだけ、半月堡(はんげつほ)または、馬出塁と(うまだしるい)と呼ばれる三角形の土塁が築かれおり、敵を入り口で防御するための拠点となる馬出と同じような役割を担っていました。本来は5ヵ所に設けられる予定でしたが、予算の都合で1ヵ所だけになったと言われています。

石垣
石垣

また、五稜郭の出入口には、外から城郭の中の様子が見えないように見隠塁(みかくしるい)と呼ばれる土塁が築かれました。
出入口には石垣も築かれましたが、この石垣には大きな特徴があります。正面にある石垣には、最上部から2段目に、はね出しや武者返し(むしゃがえし)と呼ばれる一列の石がありますが、これがあることによって、敵が石垣を乗り越えづらくなるため、敵からの侵入を防ぐ役目を果たしていました。

五稜郭の見どころ

五稜郭公園

五稜郭は箱根戦争ののち、1897年(明治30年)まで明治政府の陸軍省所管でしたが、1914年(大正3年)に「五稜郭公園」として一般公開されました。
1952年(昭和27年)には、国の特別史跡に認定。外周が約1,800mもある広大な敷地は、箱館戦争の跡地とは思えないほど緑豊かな公園で、市民の憩いの場にもなっています。
また、春になると1,600本もの桜が花開き、桜の名所としても有名です。地元の人から観光客まで、多くの人で賑わう函館を代表する人気観光スポットのひとつになっています。
五稜郭の星形を眺めるには、五稜郭タワーに上ることがお勧めです。

箱館奉行所

箱館奉行所
箱館奉行所

箱館奉行所は1802年(享和2年)に函館山の麓に建てられましたが、防衛上の理由から、1864年(元治元年)に現在の場所に移転すると共に、五稜郭も築かれます。
戊辰戦争の最後の戦いとなる箱館戦争では、新政府軍からの艦砲射撃で被弾。戦争後は、奉行所の札幌移転に伴い、ほとんどの建物は解体されてしまいました。
唯一、解体を免れて現存している奉行所付属の建物は兵糧庫です。通常は非公開ですが、毎年8月には特別公開されます。

箱館奉行所が解体されたのち、長年の待望論もあり、2010年(平成22年)に箱館奉行所を部分的に復元。港を監視するため屋根の上に造られた太鼓櫓(たいこやぐら)も再現されています。
復元にあたっては、江戸期と同様の素材を使用し、幕末の箱館奉行所を忠実に再現。青森のヒバを使った柱やヒノキの梁、そして72畳もの広さを誇る奉行の執務室からは、日本の伝統建築を感じられ、外観だけでなく、内観も見ごたえ抜群です。

復元された箱館奉行所には、4つのゾーンがあります。詰め所や役所の仕事部屋などを見学する「再現ゾーン」、五稜郭と箱館奉行所の歴史が分かりやすく学べる「歴史発見ゾーン」、復元工事の様子をはじめ宮大工の匠の技を紹介する「映像シアター」、20年もの歳月を経た復元プロジェクトの過程を紹介する「建築復元ゾーン」になっており、箱館奉行所について多角的に学べるスポットです。

五稜郭タワー

五稜郭タワー
五稜郭タワー

函館のランドマークと言える地上107mの五稜郭タワー。地上90mにある展望2階からは、眼下に広がる五稜郭の全景はもちろん、函館山や津軽海峡、函館湾までパノラマビューが楽しめます。
冬の時期には、五稜星の夢(ほしのゆめ)イルミネーションが開催。五稜郭の堀に沿って設置された約2,000個ものライトによって、星型が浮かびあがる幻想的な景色を堪能できるスポットです。
また、五稜郭タワーでは、景色を眺める以外に、五稜郭の歴史を学べる展示スペース「五稜郭歴史回廊」も。箱館戦争を中心にした歴史解説やジオラマなどを展示しています。

五稜郭周辺の観光スポット

四稜郭

四稜郭
四稜郭

四稜郭は、1934年(昭和9年)1月22日に国指定の史跡となった、函館戦争の際に築かれた西洋式の要塞です。
函館戦争の際に新政府軍からの攻撃に備えて、1869年(明治2年)に、函館を一望できる緩斜面の台地に造られ、五稜郭の背後を守る役割を担っていました。
四稜郭には、名前の通り4つの稜堡があり、四方に突き出た稜堡は、大砲を置く砲座です。四稜郭は、蝶が羽を広げたような形をしているため、バタフライ型とも呼ばれています。

四稜郭は、突貫工事によって数日の間に造られたと言われており、面積は約2,300㎡と、五稜郭の約50分の1の広さです。
周囲には五稜郭と同じく土塁が築かれており、その周りには空堀がある構造。また、出入口となる虎口は、食い違いになっています。
四稜郭に建造物はありませんが、きれいに整備されているので、土塁や空堀をはじめ内部を散策することが可能です。
また四稜郭からは、約3km離れた五稜郭タワーや、函館山を眺めることもできます。春には桜が咲き誇り、隠れた花見スポットにもなっている場所です。

土方歳三記念館

五稜郭と縁の深い土方歳三の記念館も、五稜郭と合わせてぜひ訪れたいスポットです。
新撰組の副長であり、剣術の達人として知られた土方歳三は、力を増す討幕派に対して幕臣として立ち向かい、鳥羽伏見の戦いを経て、1868年(明治元年)に蝦夷地である箱館に上陸します。
しかし翌年、新政府軍による総攻撃によって銃弾に倒れ、35歳という若さで生涯の幕を閉じました。土方歳三が狙撃されたのは一ノ木関門ですが、一説によると、その遺体は五稜郭に埋葬されたとも言われており、五稜郭タワーには土方歳三のブロンズ像が建っています。

函館市内にある土方歳三の記念館は、啄木小公園の隣に建っている土方・啄木浪漫館の1階にあり、2階は石川啄木の記念館です。
土方歳三記念館の中に入ると3つの部屋があり、幕末の膨大な史料から、土方歳三の掛け軸、土方歳三が探し求めていたと言われている古刀和泉守兼定「之定」の長刀や短刀など、貴重な史料を展示。また土方歳三だけでなく、箱館戦争をはじめ、幕末に活躍した人物の資料も充実しているので、熱い支持を持つ新撰組ファンを始め、多くの人々が訪れています。

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