ご希望の日本の城情報を無料で検索できます。

施設リサーチ/ホームメイト・リサーチTOP

刀剣ワールド/城
トップページへ戻る
トップページへ戻る

国宝5城「松江城」の特徴


松江城

「千鳥城」の別名をもつ島根県松江市の松江城は、2015年(平成27年)に国宝指定を受けた国宝5城のひとつです。1607年(慶長12年)に築城がはじまり、天守最上階は壁がない望楼となっており、開放されていれば360度見渡すことができます。
年間を通じてイベントが行なわれる松江城。桜の季節に行なわれる「お城まつり」や夏至の頃に実施される「キャンドルナイトまつえ」、天守から名月を望む「秋の名月鑑賞会」などがあり、四季折々の姿が楽しめます。
また松江城は城だけでなく、堀もほぼ完全な姿で現存しており、堀を船でめぐる「堀川めぐり」は、一味違った松江城を見せてくれるので一見の価値ありです。
ここでは松江城についてご紹介。歴史や特徴、見どころなどを詳しくご説明していきましょう。

松江城の歴史

「松江城」は江戸時代、幕府の許可を得て造られた城です。
1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」において功績のあった堀尾忠氏(ほりおただうじ)は、出雲国(現在の島根県東部)・隠岐国(現在の島根県隠岐郡)を与えられ、松江藩初代藩主となりました。そして父・堀尾吉晴とともに、「月山富田城」(がっさんとだじょう)に入城します。しかし月山富田城は中世の山城で不便が多く、松江に城を移すことにしました。
1604年(慶長9年)になると堀尾忠氏は急死。息子の堀尾忠晴(ほりおただはる)が跡を継ぎますが、まだ幼かったため、堀尾吉晴(ほりおよしはる)が補佐し、松江城と城下町を建築していきました。1607年(慶長12年)に着工された松江城は、1611年(慶長16年)に完成します。堀尾忠晴には跡継ぎがなく、1634~1637年(寛永11~14年)の約3年間、京極忠高(きょうごくただたか)が藩主となりました。京極忠高は、氾濫を起こしていた斐伊川(ひいかわ)の治水を行なっています。また石見銀山の監督権が与えられ、松江藩歴代最大の領地を治めていました。
京極忠高の治世のあとは松平直政(まつだいらなおまさ)が入城。このあと10代にわたって松平家が松江藩主を務めます。
明治時代に入ると、廃城令により松江城の建造物は取り壊されていきました。松江城天守も民間に払い下げられることになり、解体が決定します。しかし勝部本右衛門(かつべもとうえもん)や高城権八(たかぎごんぱち)ら地元の有志が私財を投じたことによって、保存されることとなりました。
1935年(昭和10年)に国宝指定を受けた松江城天守ですが、国宝指定基準の変更に伴って、重要文化財に指定されます。創建当時の天守であることが証明できず、国宝指定がなかなか認められませんでした。しかしその後の調査で天守の完成時期が明らかとなり、歴史的価値が見出されたため、2015年(平成27年)に再び国宝に指定されています。

松江城の特徴

松江城の石垣
松江城の石垣

松江城は亀田山に位置する平山城。本丸の東から南にかけて階段状に二の丸が配置されており、二の丸のさらに南には三の丸があります。
松江城の石垣は、石垣築城に優れた穴太衆(あのうしゅう)によって築かれました。自然石をそのまま積んでいく「野面積み」(のづらづみ)や、加工した石を利用して石同士の隙間を減らす「打込接」(うちこみはぎ)の手法で積まれた石垣を見ることができます。

本丸に築かれた天守は4層5階。最上階は四方が展望可能な「望楼式」となっています。正面に三角形の入母屋破風(いりもやはふ)があるのが特徴で、これは桃山時代から伝わる様式です。また外壁は大部分が「下見板張り」(したみいたばり)。黒い板で覆われています。

松江城天守
松江城天守

松江城は、城の軍事的な仕掛けも見られます。天守入り口の附櫓(つけやぐら)は、より堅固な防御にするために取り付けられました。天守内部には敵に攻撃する「石落とし」や「狭間」も。
通常、鉄砲や矢を撃つための小窓である狭間は、天守の内側から外に向けて攻撃できるように造られています。しかし松江城には、天守内部から建物内の附櫓に向けて鉄砲狭間が設けられていました。附櫓の中に敵がさしかかっても攻撃できるようになっているのです。また松江城天守は大部分の階段に桐の木を使用。このような階段は全国唯一です。
国産木材のなかで最も軽量な桐を使用することで、敵の侵入時には階段を引き上げ・取り外しできるようにしていました。また桐は防火・防腐性に優れていて、この特徴も考慮して使用されたと言われています。

包板の柱
包板の柱

さらに、松江城天守の柱で見られるのが「包板」(つつみいた)。柱を板で補強して、鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留めた柱が天守を支えています。また「姫路城」の天守は地階から最上階まで貫通する通し柱がされている一方で、松江城の通し柱は二階ごとに交互に配置されているのもポイント。これは、関ヶ原の戦い後の築城ラッシュ(徳川家康が全国に築城を推し進めた「天下普請」)により、姫路城ほどの長大な柱が手に入らなかったためだと考えられています。

松江城とその周辺の見どころ

最上階から宍道湖(しんじこ)が見渡せる松江城。国宝に指定された天守の他にも、魅力があふれる城です。こちらでは、松江城とその周辺の見どころについてご紹介します。

井戸

松江城の地階
松江城の地階

天守の地階中央部には1基の井戸が位置しています。松江城の地階部分は籠城を想定した、生活物資の貯蔵庫です。井戸は飲用水確保のために造られました。現存天守のなかで、天守内に井戸があるのは、松江城のみです。

鯱鉾(しゃちほこ)

松江城の鯱鉾
松江城の鯱鉾

松江城の鯱鉾は、木造で銅板が張られています。1950年代に行なわれた解体修理で取り替えられました。それまで設置されていた鯱鉾は、天守地階で見学することができます。
高さ2.08mで、現存する木造の鯱鉾のなかで最大。雌雄一対となっており、向かって左側が雄となっています。うろこが粗いのが特徴です。

鬼瓦

角のない鬼瓦
角のない鬼瓦

魔除けの意味をもつ鬼瓦は、屋根隅に22枚飾られています。松江城の鬼瓦は角がほとんどなく、独特の表現が施されているのが特徴。一枚一枚表情が異なっており、ユニークな形状の瓦もあります。
天守内には破損し取り外された鬼瓦を3枚展示。表情の違いを観察することができます。

松江藩の歴史が描かれた壁画

松江城の天守には、松江藩の出来事を描いた20枚の壁画があります。この壁画は島根県出身の日本画家・安達不伝(あだちふでん)によって描かれた物です。
堀尾吉晴が築城する場所を決めた場面の壁画や松江城築城の様子が描かれた壁画、「玄丹おか代」の伝説にちなんだ壁画などが見られます。「玄丹おか代」は明治維新の際に、傍若無人な新政府軍の「鎮撫使」(ちんぶし)たちをもてなして、松江藩を救ったと伝わる女性です。

復元された二の丸の櫓

松江城の太鼓櫓
松江城の太鼓櫓

明治初期まで二の丸には、御門と5つの櫓がありました。2001年(平成13年)、5つの櫓のうち、太鼓櫓・中櫓・南櫓の3つが復元されています。
太鼓櫓は、太鼓を打つことで時間を知らせる櫓でした。復元後の櫓内には、江戸時代に使用されていた「刻の太鼓」(ときのたいこ)が置かれています。また中櫓は武具庫、南櫓は南東方面監視のための櫓として機能していました。

松平直政公騎馬像

松平直政公騎馬像と松江城
松平直政公騎馬像と松江城

島根県庁前に位置する銅像です。島根県庁がある場所は江戸時代、松江城の三の丸が配置されていました。もともと本丸にあった銅像でしたが、戦時中の金属供出により無くなります。しかし2009年(平成21年)、天守内で見られる小型の原型をもとにして設置されました。
松平直政は松江藩の初代藩主。「大坂冬の陣」で活躍を見せ、その勇猛さから敵方の「真田幸村」より軍扇が与えられています。

興雲閣(こううんかく)

興雲閣
興雲閣

松江城の二の丸に建立する洋館で、装飾の施された優美な外観となっています。
1903(明治36年)に完成し、のちの大正天皇・嘉仁親王が宿泊施設として利用しました。その後は公的な歓待の場や、展覧会場として使用され、1973年(昭和48年)から「松江郷土館」となります。2011年(平成23年)に松江郷土館は閉館。2013年(平成25年)度から約2年かけて、明治時代の姿に復元され、さらに保存修復工事も行なわれています。

松江神社

松江神社
松江神社

松江神社は、松江城の二の丸にある神社です。徳川家康や堀尾吉晴、松平直政、7代藩主・松平治郷(まつだいらはるさと)が祀られています。
2012年(平成24年)、松江神社で松江城築城時の「祈祷札」が見つかり、松江城天守の完成時期が明らかとなりました。重ねて学術調査における天守の特色も明確になり、2015年(平成27年)に松江城天守は国宝に指定されたのです。

塩見縄手・武家屋敷

塩見縄手の武家屋敷
塩見縄手の武家屋敷

松江城北側の堀川沿いには、かつて武士たちの屋敷が立ち並んでいました。堀尾吉晴が城下町を築く際に作った通りで、「塩見縄手」と呼ばれています。
塩見縄手にあるのは江戸時代の面影が残る「武家屋敷」。塩見縄手の名前の由来となった、松江藩の塩見小兵衛も住んでいた屋敷です。一般公開されているので、江戸時代の武士たちの生活を垣間見ることができます。

松江歴史館

松江歴史館
松江歴史館

松江歴史館は、松江城の東にある施設です。城と城下町についての資料や、歴代藩主ゆかりの品々などを展示。また約百坪の日本庭園や復元された長屋、千利休由来と伝わる茶室なども設けられています。
松江は和菓子の文化が根付く町。「不昧公」(ふまいこう)と慕われる、7代藩主・松平治郷が茶の湯を広めたことで、京都・金沢と並ぶ和菓子どころとなりました。歴史館内では美しい上生菓子の創作風景が見られる他、松江城をながめながらお菓子とお茶を味わうこともできます。

松江城に伝わる人柱伝説

松江城
松江城

松江城の石垣工事はうまく進まず、人柱が立てられたと言われています。人柱に選ばれたのは、盆踊りに来ていた踊りの上手な美しい娘。しかし、その後、この娘の呪いによって、城下で盆踊りが行なわれると天守が鳴動するようになり、盆踊りは禁止されたと伝わっています。
また築城を進めていた堀尾吉晴に続き、3代藩主・堀尾忠晴も死去。跡継ぎがいなかったために、堀尾家は断絶の道を辿ることとなります。次の城主・京極忠高も治世3年で急死し、京極家も断絶。この相次いだ不幸も、娘の呪いと考えられていました。
そして次の城主は松平直政ですが、このときに呪いは終わったと伝わります。
天守に娘の亡霊が現れ、松平直政が何者か尋ねたところ、亡霊は「この城の主だ」と答えました。そして「この城」とかけて、魚の「コノシロ」を供えたところ、亡霊は現れなくなったということです。
この人柱伝説は、松江で働いていた時期がある、文豪の小泉八雲も書き記しています。

城ガールに人気!松江城周辺の神社・レストラン等

松江水燈路の松江城
松江水燈路の松江城

黒と白の素敵な外観の天守を持つ松江城は、城ガールをはじめ多くの観光客が訪れるスポット。特に桜・紅葉の季節の天守や、ライトアップイベント「松江水燈路」での松江城周辺では、フォトジェニック(※1)な場所がたくさんあります。
こちらでは、城ガールのための松江城おすすめのスポットをご紹介しましょう。

城下町の面影を残した伝統美観指定地区「塩見縄手」には、着物や袴、浴衣がレンタルできる店があります。貸衣装の「堀川小町」は、幅広い色・柄から好みの着物が選べるお店。ヘアアレンジが無料で、さらにバッグなども取り揃えているため、手ぶらで来店可能です。城下町の情緒ある街並みを着物で散策すれば、タイムスリップ気分が味わえます。

松江神社のハート絵馬
松江神社のハート絵馬

また松江城は、天守を支えている柱の1本がハートの木目であることから、縁結びスポットとしても人気。松江城周辺には他にも、ハート型の絵馬がある「松江神社」や、恋愛に関するおまじないができるハートの石畳といった縁結びスポットがあり、さらに「松江堀川地ビール館」では「縁結麦酒」(えんむすび~る)が味わえます。

縁雫アンブレラスカイ
縁雫アンブレラスカイ

松江城より徒歩約10分のところにあるのは「カラコロ工房」。夏頃に期間限定で行なわれる「縁雫アンブレラスカイ」では、多数のカラフルな傘が天井を覆った様子がフォトジェニックです。また一緒に撮影すると幸せになれると伝わるピンク色のポストも人気となっています。

近くに縁結びスポットやフォトスポットが多数ある、城ガールにおすすめの松江城。着物や浴衣で松江城や城下町、ご紹介したスポットなどを巡る、非日常的な体験ができます。

※1 フォトジェニック(photogenic)とは「写真映えする」という意味を持ち、「写真」を意味する(photo)と「~に適した」を意味する(-genic)を掛け合わせた言葉。
※この記事は、2020年(令和2年)4月時点の情報に基づいて作成されています。
  • 松江城の施設詳細ページはこちらから

    松江城へ訪れる際には、役立つ口コミや画像が多数掲載されている
    刀剣ワールド/城のサイトが参考になります。

  • 松江城公式サイト

    松江城の新着情報やイベント情報については、公式サイトをご参照下さい。