織田信長ゆかりの城
安土城跡は、滋賀県近江八幡市安土町下豊浦に位置する山城で、織田信長が最もその威容を誇っていた際に居城としていたことであまりにも有名です。
もちろん現在はその天守は現存していませんが、数多くの遺構が保存されており、国の特別史跡で、かつ琵琶湖国定公園第1種特別地域に指定されています。
アクセスは名神高速を利用するか、安土駅からコミュニティバス、もしくはレンタサイクルを利用するのがよいでしょう。
諸説はありますが大型天守閣を備えた日本初の城塞とされ、その天守は一般的な城のイメージで多い四角形のものではなく、八角形であったとされています。地下1階地上6階建てで、天守の高さはなんと32メートルにものぼるとされており、織田信長の権力の象徴を誇示する上でも非常に重要な役割を担ったようで、時の宣教師ルイス・フロイスは、「イスタンブールよりも東の地域で最も巨大かつ豪華な要塞である」と記したと言います。
元来、城というのは古くからあるものですが、特に安土桃山時代から江戸時代にかけて日本国中に築城されるようになる近世城郭においては、この安土城が規範となって設計されることが非常に多く、わが国の建築史においても欠かすことのできない重要性を持っています。
他の特徴としては城内に堂塔伽藍を備えた寺院である摠見寺という寺があり、そのような構造を持つ城は歴史上唯一とされています。一般的には信仰心が薄かったと思われがちな信長ですが、城の礎石の部分に仏塔を備えていた形跡が認められるなど、現代のイメージとは異なる人物であったのかもしれません。
その天守は1579年(天正7年)完成とされますが、同年ごろに落雷を受け、かつ1582年(天正10年) には本能寺の変があり、わずか三年で消失してしまいます。
現在において積極的な発掘調査が行われ、当時の遺構を考古学的見地から考察する運動が盛んになっており、謎の多い安土城について様々なことが分かってきています。その成果は近隣施設である安土城郭資料館や滋賀県立滋賀県立安土城考古博物館で確認することができますので、あわせて訪れてみるとよいでしょう。