諏訪高島城
高島城は、JR中央本線上諏訪駅から徒歩で15分ぐらいのところで、諏訪湖畔からもほど近くの諏訪の中心地にあります。
かつては、諏訪湖の中に建っているような城だったとのことですが、次第に高島城の辺りの湖が干拓されて陸地となり、当時の湖の中に建つ城という面影は、今ではうかがい知ることはできなくなりました。
さて、高島城の形態は、本丸・二の丸・三の丸が南から北へ一直線に並ぶ連郭式というタイプになります。
また、高島城が建てられたのは、安土桃山時代末期のことでしたが、城が攻められにくいように、わざわざ諏訪湖の中という立地を選んだのではないでしょうか。
元々は、ここには漁を営む村があったとのことですが、高島城のためにその村を移転させたという少々荒っぽい手法も取られたようです。
いずれにせよ、短期間で完成させた城のようですので、建て方や特に諏訪湖の中という立地は、苦肉の策だったとも言えると思います。
ところが、江戸時代に入り天下泰平があたり前の世の中になると、戦のための城という意味合いもなくなり、高島城周辺の街づくりをするために干拓が行われていき、現在のような様子になっていったのだと思います。
また、諏訪湖周辺は地盤が軟弱で、元々大規模建築をするのには向いていませんでした。
今でこそ、諏訪湖周辺には、ホテルやマンション等の高層建築物も見られるようになりましたが、地盤の補強にはかなりの費用と手間ひまがかかっていることと思います。
高島城も三重の天守と、たとえば松本城に比べると小規模にも思えますが、当時の高層建築物を維持するために、石垣の補強等にも相当苦労をされたことは、容易に想像できます。
ところで現在の高島城は、昭和45年に復元されたものです。
明治時代の廃藩置県によって、高島城は高島県の庁舎となったとのことですが、その際に、維持をするのが大変な高島城が壊されることになってしまったことは、いたし方ないと言うほかありません。
さらに、現在は高島公園としても整備され、特に桜の名所にもなっています。