
金川城跡は岡山市北区にあります。鎌倉時代初期に松田盛朝が築城。(諸説あり)戦国時代の1568年宇喜多直家との戦いに敗れ、松田氏は滅亡。江戸時代に入り、一国一城令により廃城になりました。現在では建物は無く、石垣や土塁、堀などの遺構があります。
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金川城跡は岡山市北区にあります。鎌倉時代初期に松田盛朝が築城。(諸説あり)戦国時代の1568年宇喜多直家との戦いに敗れ、松田氏は滅亡。江戸時代に入り、一国一城令により廃城になりました。現在では建物は無く、石垣や土塁、堀などの遺構があります。
金川城は、岡山県岡山市北区御津金川にあったお城で岡山市指定の史跡になっています。 鎌倉時代中期、承久の乱で鎌倉幕府方につき軍功のあった松田盛朝によって築城されたと考えられています。
金川城は岡山市の指定史跡で岡山市北区御津金川にあり岡山市北区役所御津支所の西側にある臥龍山に築かれた山城で玉松城とも呼ばれています。 駐車場はありませんがいつも御津町郷土歴史資料館の方へ声をかけさせていただき駐車場を借りさせていただいています。 登城口は御津支所側にもありますが私は郷土歴史資料館の北側の津山線の線路下をくぐった先の治部ヶ谷から登ります。 本丸までの道は整備されているので登りやすいです。 少し登ると登山道の左側が綺麗に段々になっています。 ここは道林寺丸という大小5段以上の曲輪で松田氏の時代には日蓮宗の道場があったそうです。 道林寺丸からもう少し登山道を登ると本丸に到着します。 登城口のあたりから比高は200メートルくらいでした。 本丸には金川城の説明の看板とかつての城主松田氏の供養塔があります。 破城されているお城なので建物などは残っていません。石垣なども破城された際のものかいたるところで崩され転がっている状況です。 本丸と二の丸をつなぐ虎口は傾斜しつつ桝形になっていました。 二の丸は北側に土塁が広く残っていて、また二の丸には金川城で注目すべき3つの井戸の内の一つ杉の木井戸と呼ばれる石積みの井戸の遺構があります。 二の丸からは出丸に行くことができ出丸から下ると御津支所側の登城口に行きます。 本丸から北の丸方面に向かうと本丸から一段下りた場所に天守の井戸と呼ばれる巨大な井戸があります。今は水は無い状態ですが直径8メートル深さ10メートルは国内でも最大級の規模だそうです。 北の丸に向かう手前で曲輪を下りていくと最後の井戸があります。 白水の井戸と呼ばれる石組みの井戸で曲輪の中にぽっかり穴が開いている状態で残っているので落ちてしまわないように注意が必要です。 北の丸は中で2段に分かれていて虎口のような場所もありましたが、よくわかりませんでした。 北の丸を抜けると尾根を断ち切るように2本の堀切があります。 岡山市内ではなかなか見ることのできない大きさなのでこの堀切は必見です。 場所によっては落ち葉が多く滑りやすい場所もあるので装備は整えた方が良いと思いますがハイキングするのにもおすすめなお城です。
「金川駅」から下車してから徒歩15分程度の場所に立地しております。標高225mの臥龍山山頂を中心に築城されており、岡山県を南北に結ぶ旭川の水運と吉備高原の陸路を利用できる立地となっております。
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