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沓掛城跡 の投稿口コミ一覧
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愛知県豊明市にある城跡です。1400年頃藤原義行が築城(諸説あり)戦国時代には25000の大軍を率いて今川義元が入城。翌日の桶狭間の戦いに備えて軍議を行いました。関ヶ原の戦いで西軍についた城主川口宗勝は改易され、城も廃城になりました。現在では建物は無く、堀や曲輪などの遺構があります。
沓掛城跡は、名鉄前後駅から車で20分程の距離にあります。 沓掛城の名が一躍歴史に轟いたのは、1560年の桶狭間の戦いでしょう。当時沓掛を治めていた沓掛城主近藤氏は、他の土豪の例に漏れず、織田と今川の間を情勢に応じて行き来することで、辛うじて家名と統治者の座を死守していました。桶狭間の戦いの際には今川方に従っていたようで、今川義元が沓掛城に入城し、軍評定を開いた記録が残っています。しかし、その翌日に、今川義元は織田信長の軍勢により討死します。即ち、沓掛城は今川義元が最期の夜を過ごした場所に該当することになります。 桶狭間の戦いの後、近藤氏は没落し織田方の武将が沓掛城主となっていきますが、関ヶ原の戦いの後、収公廃城となり、今はもう残っていません。歴史のロマンや、無常を感じたい方は訪問をお勧めします。
沓掛城は、愛知県豊明市沓掛町にあったお城で豊明市指定の史跡になっています。 城跡は、沓掛城址公園として整備されています。 戦国時代に起きた桶狭間の合戦前に今川義元が陣を置き戦評定が行われたお城です。
豊明市沓掛町東本郷に室町時代〜戦国時代にあったお城の跡です。近藤氏が代々城主でしたが、織田氏・松平氏・今川氏に従属先を変えながら、あの桶狭間の戦いを 迎えます。 この城には、桶狭間の戦い前夜に今川義元が泊まっています。結果は皆さんご存知の通りで、織田信長の奇襲で今川義元は討死し、その後、信長は飛躍します。 現在、城跡は沓掛城址公園となり、当時の遺構がよく保存されています。駐車場も数台分あります。市街地にも関わらず、土塁、空堀、虎口などがキレイな形のまま残っていて驚きです。 近くの桶狭間古戦場公園などと合わせて巡ってみるのがオススメです。
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