
富山市海岸通にある城跡です。日本海に近い神通川の河口にある平城。城域は15000㎡と広大。築城は1500年頃と伝わります。戦国時代は上杉氏や河田氏と抗争を繰り広げました。現在では土塁や堀などの遺構があります。
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日本の城
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富山市海岸通にある城跡です。日本海に近い神通川の河口にある平城。城域は15000㎡と広大。築城は1500年頃と伝わります。戦国時代は上杉氏や河田氏と抗争を繰り広げました。現在では土塁や堀などの遺構があります。
戦国時代のお城が戦によって落城した跡地になります。日本海に近い神通川の河口の東側に築かれた平城でした。城跡は約一万五百㎡の広さで、元はもっと広かったと言われており、今後の調査によってはまだまだ広がる可能性があります。城跡の北側で富山湾方向へ進むと海沿いの浜街道(県道1号線)があり、当時のお城は水運、海運も栄えた要衝であった事がうかがえます。その浜街道(県道1号線)の那智町の交差点の東に、落城時の轡田豊後守や戦死者を葬ったとされる精霊塚があります。城址跡地の現在は曹洞宗瑞円寺とその私邸の敷地になっています。北側道路に面して城跡の説明板と「大村城主轡田豊後守雅正之旧跡地・瑞圓禅寺」の石碑が建てられています。また境内の西から南にかけて幅広の堀跡があると言われていますが、近辺は田んぼがあったりで なかなか、見る事は難しいです。名残を見る事ができるのが瑞円寺の東側の門の辺りに堀と石垣の土塁を確認することができます。お寺には轡田氏の位牌や雅正が信仰していたといわれている阿弥陀仏が残されています。
大村城跡は、富山市の神通川河口にあります。戦国時代中期に築城。1578年に上杉謙信の部将河田長親との戦いに敗れて落城。廃城になりました。現在では建物は無く、土塁や堀などの遺構があります。
大村城は、富山県富山市海岸通にあったお城です。 日本海に近い神通川の河口の東側に築かれ、水運、海運が栄えた要衝でした。 城域は非常に広く、今後の調査によっては今以上になりそうです。
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