
小机城跡は、自然に囲まれた静かな場所で、散策しながら歴史を感じられるスポットです。遺構としては土塁や空堀がしっかり残っていて、戦国時代の名残を楽しめます。公園のような雰囲気なので、ハイキング気分で歩くのもアリ。春には桜が咲いて、とてもきれいですよ!駅からも比較的近いのでアクセスしやすいのが嬉しいポイント。あまり観光地化されていないので、のんびりと歴史探訪をしたい人にはぴったりな穴場です!
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日本の城
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1~7件を表示 / 全7件
小机城跡は、自然に囲まれた静かな場所で、散策しながら歴史を感じられるスポットです。遺構としては土塁や空堀がしっかり残っていて、戦国時代の名残を楽しめます。公園のような雰囲気なので、ハイキング気分で歩くのもアリ。春には桜が咲いて、とてもきれいですよ!駅からも比較的近いのでアクセスしやすいのが嬉しいポイント。あまり観光地化されていないので、のんびりと歴史探訪をしたい人にはぴったりな穴場です!
小机城は2017年に日本城郭協会によって選ばれた続100名城に選ばれています。 最寄り駅はJR横浜線の小机駅で新幹線も停まる新横浜駅の一つ隣の駅になります。 小机駅から小机城へは駅の北口から歩くのが近いですが 続100名城のスタンプを集めている場合はスタンプの設置場所が 小机駅の南口を出た側の横浜市城郷小机地区センターになるので 少し遠回りですが南口に出ましょう。 地区センターにはスタンプの他に小机城のパンフレットも設置してあったので スタンプを集めていない場合でもこちらをオススメします。 車の場合は小机城の入り口付近は住宅街で駐車場が無いので 小机踏切横にあるコインパーキングが最寄りの駐車場になると思います。 小机城には建物などは残っていませんが整備状況は良く堀や土塁、曲輪を見ることできます。 堀底は通路になっているので曲輪までの高さに驚き逆に曲輪や土塁から堀を見ると深さを知ることができました。 現在は市民の森になっているのでお城として楽しむことはもちろんですが竹林の見事さも感じられる場所でした。
小机城跡は、横浜市港北区にあります。室町時代に上杉氏が築城。北条氏と攻防戦を繰り広げました。その後豊臣秀吉の小田原征伐で落城し、廃城になりました。現在では建物は無く、空堀や土塁、曲輪などの遺構があります。
小机城は、神奈川県横浜市港北区小机町にあったお城です。 現在では、小机城址市民の森として、城の遺構が整備されています。 関東管領上杉氏によって築城されたといわれていますが、正確な築城年代は分かっていません。
小机の駅前に名城100選のスタンプ台があります。ポチッと押して、お城に行ったことにしたい気分です。 しかし、そこは城巡りの巡礼者として横着しては名が廃るので登城します。 実になんてことのない小高い丘の上に城が築かれていたと資料にあります。周囲を見回して気づいたことですが、この城がなぜ重要だったかを考えると、眼前に広がる鶴見川以外に考えられませんでした。 ここからは私の勝手な想像です。最初にお断りしておきます。日本は古来より物資の運搬に船を多用しています。大きな街道が本格的に整備されるのは江戸時代以降の話であり、整備された街道も限定的でした。 港というと海を思い浮かべますが、川に架橋されている場所も限られていた時代ですと川渡しの船着場こそ地域ごとの物流拠点であったり集積場だったと思います。 そして小机城の位置ですが、東京湾から多摩地域との中間にあたるとともに、近くに鎌倉街道が通っていることから地域の物資が集まる場所だったと想像が出来ます。 小机城の領主は物資の運搬や集積所を管理するような領主だったのではと想像も出来ます。 話は飛躍しますが、幕末に日本から海外へ大量の生糸が輸出されます。主な出荷地は横浜でしたから多摩地域に集積された生糸は鶴見川を下り横浜へ出荷されていたかもしれません。 小高い丘の上で膨らませた想像は、こんな感じです。
横浜市港北区内にある戦国時代の平山城(ひらやまじろ)です。 交通機関では、横浜線の「小机駅」が最寄りになります。 現在は、この城郭を利用した「小机城趾市民の森」という名で、 横浜市により保全されています。 関東における戦国時代のマニアなら、必ず一度は行くはず!! と言えるほど、重要な城です。 2017年には「続日本100名城」にされました。 始まりは、室町時代、関東管領職にあった上杉氏により、 15世紀頃に築城されたと言われています。 周囲の開発が進み、城の正確な規模はまだ不明ですが、 おそらく北側の鶴見川付近まで広がっていたのではないか? と言われています。 この城が歴史に名を現わすのは、 西暦1476年に起こった「長尾景春の乱」が機会となります。 次の関東管領・上杉家の家宰職は自分と思っていた彼が、 大逆転で他者のものになり、それを不満に思って起こした反乱です。 その戦の中で長尾景春に味方したのが、小机城の主である豊島泰経でした。(諸説あり) この時は、小机城対岸に布陣した、 上杉方の名将・太田道灌の手によって落城しました。 時代は下り、 後北条家の北条早雲、氏綱、氏康の三代に渡り、 上杉家との関東の覇権を争う相次ぐ戦の中で、 防衛戦として重要な役割を果たしました。 二代・北条氏綱の頃に大規模な改修が行われたようで、 ここに重臣の笠原信為を城代として配置し、 寺社仏閣を建立するなど城下も整備しました。 その後、北条一門の人々が城主を歴任し、 豊臣秀吉の「小田原征伐」により落城するまで、 北条氏の支配が続きました。 秀吉の命令で徳川家康が駿河・三河・遠江より関八州へ国替えさせられたのを機会に廃城となったそうです。 現在では、公園として整備はされているものの、 高度成長期に第三京浜道路の建設の際に遺構が分断されたり、 城跡の下をトンネルが貫通するなどの開発が進み、 「史跡」指定を受けていないせいか、遺構を多くは見られません。 が、貴重な歴史を後世に遺す意味で、 毎年4月に、前述の笠原信為を偲び「小机城趾まつり」が開催され、 笠原一族に扮した地元の人々の武者行列を見れるそうです。
こちらはJR横浜線から徒歩15分ほどのところにあります。1590年に上杉氏によって建てられた歴史ある建物です。山城好きには必見で百名城の一つに選ばれるほどの人気を誇ります。
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