すごく地味です
小机の駅前に名城100選のスタンプ台があります。ポチッと押して、お城に行ったことにしたい気分です。
しかし、そこは城巡りの巡礼者として横着しては名が廃るので登城します。
実になんてことのない小高い丘の上に城が築かれていたと資料にあります。周囲を見回して気づいたことですが、この城がなぜ重要だったかを考えると、眼前に広がる鶴見川以外に考えられませんでした。
ここからは私の勝手な想像です。最初にお断りしておきます。日本は古来より物資の運搬に船を多用しています。大きな街道が本格的に整備されるのは江戸時代以降の話であり、整備された街道も限定的でした。
港というと海を思い浮かべますが、川に架橋されている場所も限られていた時代ですと川渡しの船着場こそ地域ごとの物流拠点であったり集積場だったと思います。
そして小机城の位置ですが、東京湾から多摩地域との中間にあたるとともに、近くに鎌倉街道が通っていることから地域の物資が集まる場所だったと想像が出来ます。
小机城の領主は物資の運搬や集積所を管理するような領主だったのではと想像も出来ます。
話は飛躍しますが、幕末に日本から海外へ大量の生糸が輸出されます。主な出荷地は横浜でしたから多摩地域に集積された生糸は鶴見川を下り横浜へ出荷されていたかもしれません。
小高い丘の上で膨らませた想像は、こんな感じです。