小机城跡
横浜市港北区内にある戦国時代の平山城(ひらやまじろ)です。
交通機関では、横浜線の「小机駅」が最寄りになります。
現在は、この城郭を利用した「小机城趾市民の森」という名で、
横浜市により保全されています。
関東における戦国時代のマニアなら、必ず一度は行くはず!!
と言えるほど、重要な城です。
2017年には「続日本100名城」にされました。
始まりは、室町時代、関東管領職にあった上杉氏により、
15世紀頃に築城されたと言われています。
周囲の開発が進み、城の正確な規模はまだ不明ですが、
おそらく北側の鶴見川付近まで広がっていたのではないか?
と言われています。
この城が歴史に名を現わすのは、
西暦1476年に起こった「長尾景春の乱」が機会となります。
次の関東管領・上杉家の家宰職は自分と思っていた彼が、
大逆転で他者のものになり、それを不満に思って起こした反乱です。
その戦の中で長尾景春に味方したのが、小机城の主である豊島泰経でした。(諸説あり)
この時は、小机城対岸に布陣した、
上杉方の名将・太田道灌の手によって落城しました。
時代は下り、
後北条家の北条早雲、氏綱、氏康の三代に渡り、
上杉家との関東の覇権を争う相次ぐ戦の中で、
防衛戦として重要な役割を果たしました。
二代・北条氏綱の頃に大規模な改修が行われたようで、
ここに重臣の笠原信為を城代として配置し、
寺社仏閣を建立するなど城下も整備しました。
その後、北条一門の人々が城主を歴任し、
豊臣秀吉の「小田原征伐」により落城するまで、
北条氏の支配が続きました。
秀吉の命令で徳川家康が駿河・三河・遠江より関八州へ国替えさせられたのを機会に廃城となったそうです。
現在では、公園として整備はされているものの、
高度成長期に第三京浜道路の建設の際に遺構が分断されたり、
城跡の下をトンネルが貫通するなどの開発が進み、
「史跡」指定を受けていないせいか、遺構を多くは見られません。
が、貴重な歴史を後世に遺す意味で、
毎年4月に、前述の笠原信為を偲び「小机城趾まつり」が開催され、
笠原一族に扮した地元の人々の武者行列を見れるそうです。