切り込み接ぎの石垣が綺麗
新宮城は1600年に浅野忠吉が修復工事を行います。そして大坂冬の陣の時、北山一揆が起こり、一揆勢が新宮城を攻めてきますが、熊野川を渡れず、浅野勢の反撃で撤退し、浅野氏の勝利に終わりました。しかし、幕府一国一城令により廃城となります。しかし、浅野忠吉がもう一度修復工事を行い、完成させます。その後、紀州徳川家である水野重仲が入城します。それから相次いで地震が起きて破壊したり、修復を繰り返して明治維新にいたります。そこで廃城令を出され、石垣だけの城となりました。
遺構は天守台や櫓台など石垣が多かったです。この城は数カ所枡形虎口が設けられ、とても堅固な城となっています。石垣はほどんど切り込みはぎで登りにくくなっています。(一部野面積みがあります)新宮城は熊野川に面し、和歌山県と三重県のターニングポイントにあります。熊野川で当時は貿易をしていたそうです。
和歌山県は日本100名城、続日本100名城が和歌山城とこの新宮城二つしかないので和歌山県としては結構貴重な城です。
評価
遺構:3
行きやすさ:3
全体:3
攻城時間
40分くらい