
膳所城は大津市街の東部に位置し、琵琶湖から突き出た土地に築かれた水城となります。 建築主は徳川家康。 日本三大湖城のひとつに数えられます。 観光で伺う際は、お城も琵琶湖も楽しめるのでお勧めです。
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日本の城
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膳所城は大津市街の東部に位置し、琵琶湖から突き出た土地に築かれた水城となります。 建築主は徳川家康。 日本三大湖城のひとつに数えられます。 観光で伺う際は、お城も琵琶湖も楽しめるのでお勧めです。
膳所城は、滋賀県大津市本丸町にあったお城です。 膳所城は、大津市街の東部に位置し、琵琶湖から突き出た土地の部分に築かれた水城で日本三大湖城の一つに数えられています。
大津市にある膳所城公園に行きました。立派な門が目印です。春に行ったんですが、敷地内にはキレイな桜が咲いていました。観光客も多く賑わっていました。膳所城は、日本三大湖城に認定もされています。是非行ってみてください。
膳所城は、1600年に起こった関ヶ原の合戦の後、本多正信の進言により、徳川家康が築城の名手といわれた藤堂高虎に命じ、作らせたお城といわれています。 お城の完成とともに戸田一西が入城し、膳所藩が成立しました。その後、本多康俊、菅沼定芳、石川忠総と藩主が変わった後、1651年に本多俊次が入城してからは、明治維新で廃城となるまで本多家の居城として使用されていました。 明治維新での廃城により楼閣が取り壊され、建物の姿を見る事はできませんが、琵琶湖に浮かぶその姿はとても美しかったといわれ、諏訪湖の高島城(長野県諏訪市)、宍道湖の松江城(島根県松江市)とならび、この膳所城は、「日本三大湖城」にかぞえられています。 現在は本丸の跡地が膳所城跡公園として開放され、普段は広場が子どもたちの遊び場として利用されたり、釣りをする方などが利用されたりしています。また、お花見やお祭りといった季節のイベント事にも利用されています。
大津市本丸町に残る江戸時代の城跡です。瀬田川の河口付近、琵琶湖の湖畔に築城されたいわゆる水城で、松江城・高島城と共に、日本3大湖城の一つに数えられています。 関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、大津城を廃城にして、新たに建てさせた城で、諸大名に天下普請で建てさせた最初の城と言われ、当時は白亜の天守閣がそびえ立っていたそうです。戦の度に焼き落とされる東海道の要所である瀬田の唐橋を押さえる絶好の立地で、さすが家康と言わざるを得ません。 残念ながら、明治維新で廃城になった後は市街地化が進んでしまい、現在のところ、本丸はかろうじて膳所城跡公園として整備されていますが、二の丸は浄水場になっていました。 遺構として、石垣が少し残っているのみで、公園の入口には城門と城壁が復元されているのが、かろうじて城跡の雰囲気を出しています。ただ、市内にはいくつもの城門が移築されて現存しているので、城好き人間たちは、これらを巡って満足度を高めます。 本丸大手門→膳所神社表門、北大手門→篠津神社表門、南大手門→鞭崎神社表門。この三つは国の重要文化財に指定されています。その他にも、お倉門→御霊神社表門、犬走門→若宮八幡宮、米倉門→近津尾神社などなど、結構な数の現存建物があります。市内をぶらぶらと、膳所城の痕跡を探し歩くのも、歴史好き・城好きにはたまらない楽しみ方です。近くの大津市歴史博物館に行けば、膳所城の復元模型も展示されていますので、これを見てイメージしてから、遺構探しをする方がよりイメージがわいて、楽しめると思いますよ。
膳所城跡は、滋賀県大津市琵琶湖畔にあります。関ヶ原の戦いの翌年に徳川家康が豊臣氏や西国大名の押さえとして築城しました。建物は明治の廃城令で解体されましたが、石垣や櫓 城門などの遺構があります。
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