膳所城跡公園
膳所城は、1600年に起こった関ヶ原の合戦の後、本多正信の進言により、徳川家康が築城の名手といわれた藤堂高虎に命じ、作らせたお城といわれています。
お城の完成とともに戸田一西が入城し、膳所藩が成立しました。その後、本多康俊、菅沼定芳、石川忠総と藩主が変わった後、1651年に本多俊次が入城してからは、明治維新で廃城となるまで本多家の居城として使用されていました。
明治維新での廃城により楼閣が取り壊され、建物の姿を見る事はできませんが、琵琶湖に浮かぶその姿はとても美しかったといわれ、諏訪湖の高島城(長野県諏訪市)、宍道湖の松江城(島根県松江市)とならび、この膳所城は、「日本三大湖城」にかぞえられています。
現在は本丸の跡地が膳所城跡公園として開放され、普段は広場が子どもたちの遊び場として利用されたり、釣りをする方などが利用されたりしています。また、お花見やお祭りといった季節のイベント事にも利用されています。