
戦国時代には、毛利氏と織田氏の勢力の境界に位置し、「上月城の戦い」の戦場となった山城の跡です。また、山頂には戦死者の供養塔が立ち、要衝であったことがうかがえます。
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戦国時代には、毛利氏と織田氏の勢力の境界に位置し、「上月城の戦い」の戦場となった山城の跡です。また、山頂には戦死者の供養塔が立ち、要衝であったことがうかがえます。
上月城は、兵庫県佐用郡佐用町にあったお城です。 赤松氏の配下であった上月氏によって築城されました。 戦国時代は、織田信長方の尼子氏が入城しました。 その後、毛利輝元率いる大軍に囲まれ、救援に来た羽柴秀吉も三木城攻略に撤退した為、毛利氏に降服しました。
上月城跡は、兵庫県佐用町にあります。戦国時代に毛利氏 尼子氏 織田氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。建物はありませんが、激戦を物語るように尼子勝久や山中鹿之介の供養碑がありました。
上月城では幾度も争奪戦が繰り広げられ、それを物語っているのが城跡にいくつも建っている供養塔だ。 上月城の戦いは、戦国時代にあった毛利輝元と尼子勝久の合戦だが、実質は毛利氏と織田氏の勢力争い。信長が三木城攻略を優先し、尼子氏の救援を見捨てたため尼子氏は敗れ、滅亡した。 山の麓には、城兵の命を守るために自刃した尼子勝久と家臣の山中鹿介の追悼碑が並んでいる。
作用町の西側にある城跡です。 上月歴史資料館の裏から登山口があるので、そちらを目印に訪れてみて下さい。 山道で、舗装はされていないので、登山靴で登られることをオススメします。 割と急な坂道を20分ほどのんびりと歩いていくと、城跡に到着します。 見晴らしもよいですが、ほぼ林です。 しかし、見晴らしの良い場所で、周りの地形を見渡すと、いかに山城として攻め難い造りの城だったかが良く分かると思います。 ちょっと駅からは離れているので、車で行くのをオススメします。 歴史の舞台になりながら、歴史に埋もれていった場所で、実際に訪れると感慨が深いです。
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