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日本の城
桑名城跡
三重県桑名市にある「桑名城跡」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、桑名城跡の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。三重県桑名市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
桑名城跡の概要
「桑名城」(くわなじょう)は三重県桑名市にあった城で、「本多忠勝」(ほんだただかつ)によって築城され、江戸時代には、伊勢桑名藩の藩庁が置かれていました。
城の北側にあったのは、東海道の宮宿(みやじゅく:愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿までの海路「七里の渡し」(しちりのわたし)の船着場。そこは、江戸時代における交通の要衝として、重要な機能を果たしていたのです。
江戸時代末期に活躍した浮世絵師「歌川広重」(うたがわひろしげ)の東海道五十三次・桑名には、この七里の渡しの玄関口となる桑名湊(くわなみなと)と共に、美しい石垣の「桑名城」が描かれています。
「桑名城」は、城の三方が揖斐川(いびがわ)に囲まれている形状が扇のように見えたことから、通称「扇城」(おうぎじょう)と呼ばれていました。この通称は、桑名城址を整備して造られた九華公園(きゅうかこうえん)の由来にも関係しています。中国には九華扇という物があり、江戸時代の日本では九華をくわなと読んでいたため、「桑名城」が「扇城」とも呼ばれていたこととかけて、公園の名称に使われました。
園内の本丸跡では、「松平定綱」(まつだいらさだつな)と「松平定信」(まつだいらさだのぶ)を祀る鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)があり、その脇には天守跡を見ることができます。
また、こちらの公園では、季節の移り変わりに咲く花々の種類に合わせて、4月にはさくらまつり、5月につつじまつり(金魚まつりも同時開催)、6月には花菖蒲まつりを開催。それぞれの時期には、大勢の市民で賑わっています。
桑名城跡の見どころ
1803年(享和3年)の記録によれば、「桑名城」には天守閣を始めとして、本門や路地門などが63ヵ所、櫓の数は95ヵ所にまで及び、その壮大な規模から東海道の名城と称されていました。
「桑名城」の本丸と二之丸一帯が九華公園になっており、本丸跡には、西南隅に「神戸城」(かんべじょう)から天守が移築された神戸櫓跡(かんべやぐらあと)、東南隅には辰巳櫓跡(たつみやぐらあと)があります。辰巳櫓は元禄の大火で消失し、再建されることのなかった天守閣に代わり、「桑名城」のシンボル的な存在となっていた物です。
また、元禄の大火後、「桑名城」が再建されたときには51の櫓があったという記録が残っており、その中でも、三之内跡内の揖斐川沿い、七里の渡しに面して建てられた蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)は、東海道を往来する人々が必ず目にする、桑名を象徴する建物として知られていました。
蟠龍は、天に昇る前にうずくまっている姿をしている龍のことで、中国では龍が水を司る聖獣とされているもの。この蟠龍櫓でも瓦にモチーフとしてかたどり、航海の守護神として置かれていたと考えられています。
そして、「桑名城」の遺構における見どころは、三之丸の堀川東岸にわずかにある、築城当時の石垣ですが、このような遺構が見られるのは、桑名城跡である九華公園の中だけではありません。例えば城門は、桑名市内の了順寺(りょうじゅんじ)の山門に、三之丸御殿は、三重郡にある浄泉坊(じょうせんぼう)の書院に、それぞれ移築されているのです。
桑名城跡の歴史
桑名の地に初めて城館が構えられたのは、1186年(文治2年)頃。伊勢平氏の「桑名行綱」(くわなゆきつな)が、鎌倉幕府からこの地を賜ったことが始まりとなりました。しかし、「桑名城」そのものの起源となったのは、「伊藤武左衛門実房」(いとうぶざえもんさねふさ)によって築かれた、桑名三城のひとつに数えられる「東城」(とうじょう)でした。
1574年(天正2年)に「織田信長」(おだのぶなが)が長島一向一揆を鎮圧し伊勢を征すると、信長の重臣である「滝川一益」(たきがわいちます)が桑名三城を配下に置き、「長島城」(ながしまじょう)を自身の居城とします。その後、「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の時代から神戸氏、天野氏、一柳氏、松平氏と支配者がめまぐるしく移り変わりましたが、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いのあと、1601年(慶長6年)には「徳川家康」(とくがわいえやす)が「本多忠勝」(ほんだただかつ)に10万石を与え、桑名の大名として入封。これにより、桑名藩が立藩されました。
忠勝は、揖斐川(いびがわ)の河口近くに、城郭及び城下町の建造をただちに開始し、その完成には10余年の歳月を費やしたと言われています。しかし、「松平(久松)定重」(まつだいら(ひさまつ)さだしげ)の時代である1701年(元禄14年)には、桑名市街地が広範囲にわたって焼かれる大火が発生し、天守も焼失してしまいました。残念ながら天守は、それ以降再建されることはなかったのです。
1710年(宝永7年)、越後高田藩(えちごたかだはん)に移封となった定重に代わり、「松平(奥平)忠雅」(まつだいら(おくだいら)ただまさ)が「桑名城」に入ると、1823年(文政6年)の「忠堯」(ただたか)の時代まで、7代にわたって続きました。
その後は、松平(久松)氏が桑名藩主に返り咲き、1868年(慶応4年)の鳥羽・伏見の戦いで、桑名藩は、旧幕府軍と共に戦いましたが、敗戦。その後、当時の藩主・「定敬」(さだあき)不在のまま新政府に恭順。あえなく無血開城となり、その際に城は、すべて焼き払われてしまったのです。



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桑名城跡の基礎情報
- 施設名称
- 桑名城跡
- 所在地
- 〒511-0032
三重県桑名市吉之丸5丁目1
- TEL
- 0594-24-1231
- 交通アクセス
-
-
三岐鉄道北勢線「西桑名駅」から「桑名城跡」まで 徒歩17分
-
「「神明社前」バス停留所」から「桑名城跡」まで 徒歩4分
-
東名阪自動車道「桑名東IC」から「桑名城跡」まで 3.9km
※桑名城跡までの距離は、直線距離から算出し表示しております。直線距離の確認・目安としてご活用ください。
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- 営業時間
24時間
駐車場利用時間(柿安コミュニティパーク駐車場)
午前9時から午後5時まで(イベント開催時は変更になることがあります)
- 休城日
-
無し
- 別名
- 扇城、旭城
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 有り
- 駐車場案内
ホームページ - https://www.kankomie.or.jp/spot/3573
- 御城印
-
- ―
- 入場料
無し
- 団体予約
団体割引 無し
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桑名城跡の投稿口コミ(26件)
地元では桑名城跡というよりは、九華公園として親しまれている場所です。お堀や天守台は残っており、徳川四天王の本多忠勝ゆかりのお城でもあります。とても広い城跡がきれいな公園になっていますので、散歩にはぴったりです。
城跡ですが、九華公園のなかにあります。いつも平日休日関係なく散歩する方で賑わっていますし、春になれば花見で賑わいます。出店もでるので春が1番賑わう季節になります。駐車場も広い場所があり、管理人の方が2人から4人ほどいるので、空いてる場所の案内などしてくれて、安心なうえかなり停めやすい・・・
桑名城跡の投稿写真(73枚)
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