キリシタンゆかりの城
長崎県南島原市南有馬町乙に位置し、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産として2018年6月30日に世界遺産登録が決まったことで注目されている古城跡です。
それ以前には2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(188番)の指定を受けるなどし、にわかに注目度が高まっています。
読みは「はらじょう」とも「はるのじょう」とも伝わっており、別名として志自岐原城、日暮城、有馬城という呼称も伝わっています。
室町時代の明応5年(1496年)、日野江城の支城として有馬貴純によって築かれたのが始まりとされ、現在も絶景を誇る有明海の荒波を見下ろす小高い丘には、当時は本丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸、各種の櫓によって威容を誇っていたそうです。
戦国時代においては特に大きな合戦の舞台になることはなかったようですが、元和2年(1616年)に松倉重政が日野江城に入城した際に、一国一城令に則り廃城とされ、その後松倉氏の本拠として島原城を築城する際に石垣や建造物の構成材等も解体、利用されたと伝わっています。
世界遺産登録の主な理由のきっかけとなった島原の乱においては天草四郎率いる三万七千のキリシタン農民一揆軍の重要拠点となり、幕府軍にも千を超える死者を出すほどの激戦となりました。
三万七千の一揆軍は、女性、子供に至るまで皆殺しとなり、その遺骨の一部と思われる大漁の人骨が近年の発掘調査で出土しています。その際、クロスやメダリオンなど当時のキリスト教のものも出土したそうです。
交通は島鉄バス 原城前バス停から徒歩15分、マイカー派の方には無料駐車場も併設されています。先述のとおり眼下に有明海の広がる絶好のロケーションで、当時の面影を残す敷地の土盛りなどが緑に覆われているのを見ると、なんとも言えない趣を感じることができます。
信仰の自由のため戦った人々に思いを馳せながらこの地に立つことで、自分自身の日々の過ごし方にも考えさせられる部分があるように感じました。