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日本の城
宇和島城
愛媛県宇和島市にある「宇和島城」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、宇和島城の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。愛媛県宇和島市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
宇和島城の概要
「宇和島城」(うわじまじょう)は、愛媛県宇和島市丸之内にある城。四国・西南地域の中心的都市として発展してきた歴史を持つ宇和島は、「伊達十万石の城下町」と称されていました。「宇和島城」は宇和島市街地のほぼ中央に位置しており、今も昔も変わらず宇和島のシンボルです。
941年(天慶4年)、平安貴族から海賊となった「藤原純友」(ふじわらのすみとも)を討ち取った「橘遠保」(たちばなのとおやす)が砦を構えたことが、宇和島を守る城の始まりだとされています。
宇和島は、四国の戦略的要所であったのに強い戦国大名がおらず、平安時代から幾度となく侵略や内紛、一揆が繰り返されており、施政者が時代ごとに変わっていく戦乱の地でした。
日本国内には「松山城」など12の天守閣が現存。「宇和島城」も現存する貴重な天守閣のひとつであり、国の重要文化財に指定されています。また巨大な石垣が特徴的な南側登城口城門の上り立ち門は市の重要文化財に指定されており、当時のままの姿を見せてくれます。
三の丸に建設された山里倉庫は、武器庫として現存する数少ない建築物。現在、宇和島に伝わる民具や祭りの際の道具を展示している城山郷土館として運営されています。
宇和島城の見どころ
城の構造や周辺の自然環境も特徴的な「宇和島城」。日本有数のリアス式海岸に位置し、城のなきあとは埋め立て地に囲まれていますが「藤堂景虎」が築城した際には海に面しており、海水を場内の堀へ引いた海城だったとされています。
「宇和島城」は「空角の経始」(あきかくのなわ)と呼ばれ、本来は五角形平面の縄張りなのですが、四角形平面の城だと錯覚させる設計が用いられていました。
一辺の死角を意図的に造ることで戦の際は物資の搬入や出撃口となったり、襲撃された際は抜け道であったりする構造です。上空から見ると、不等辺五角形であったことが分かります。江戸幕府の隠密が調べた際も、「四方の間、合わせて十四町」と書き込んでいる密書が発掘されており、幕府も騙したと言う、築城の天才と言われた「藤堂景虎」ならではの見事な作品です。
城山は、400種類もの植物が存在しており、苔むした石垣とのコントラストが季節ごとに違うことから、幻想的。さらに、「宇和島城」の本丸からは、眼下に宇和島の町並みが広がり、遠くに宇和島湾と瀬戸内海の島々が一望できます。
宇和島城の歴史
1236年(嘉禎2年)、伊予国(いよのくに)の戦国大名である「西園寺公経」(さいおんじきんつね)が、「宇和島城」が存在している場所に「板島丸串城」(いたじままるぐしじょう)と言う砦程度の城を建設。
1585年(天正13年)、「豊臣秀吉」の「四国征伐」ののち、「毛利元就」の三男である「小早川隆景」(こばやかわたかかげ)の所領になります。「小早川隆景」が転封したあとは伊予国喜多郡大洲に位置する「大洲城」(おおずじょう)を居城としていた豊臣氏家臣の「戸田勝隆」(とだかつたか)が宇和地方を所領し、「戸田与左衛門」が城代になりました。
しかし、戸田氏の圧政により宇和島の民衆は大一揆を起こし「板島丸串城」が落ちます。跡取りがいなかった「戸田勝隆」が朝鮮出兵時に病死すると、戸田氏は地位を失い改易。
1595年(文禄4年)、宇和郡7万石を拝領した「藤堂高虎」(とうどうたかとら)が入城し、翌年には城の建設を始めます。1601年(慶長6年)に城が完成すると、「宇和島城」と命名しました。
「築城の名手」として知られる「藤堂高虎」は、6年の歳月をかけ数十の櫓、堀などを整備し近代的な城郭を完成させました。「関ヶ原の戦い」での働きを評価され、完成前に「今治城」の城主として任命されていましたが、「宇和島城」の完成を待って転封したとされています。
1662年(寛文2年)、伊予国宇和島藩第2代藩主の「伊達宗利」(だてむねとし)が老朽化を理由に改修を実行するものの、主な城構えは藤堂景虎の造りを継承。1871年(明治4年)、明治政府の命により「宇和島城」は兵部省へ帰属し、大阪鎮台(日本陸軍編成の単位)の所管になりその後解体されました。



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宇和島城の基礎情報
- 施設名称
- 宇和島城
- 所在地
- 〒798-0060
愛媛県宇和島市丸之内1丁目
- TEL
- 0895-22-2832
- 交通アクセス
-
-
JR予讃線「宇和島駅」から「宇和島城」まで 徒歩10分
-
お浜-安米「「バスセンター」バス停留所」から「宇和島城」まで 徒歩2分
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- 営業時間
[天守・城山郷土館]
11〜2月 9:00〜16:00
3〜10月 9:00〜17:00
※開門は11〜2月が6:00〜17:00、3〜10月は6:00〜18:30
- 休城日
-
無休
- 別名
- 鶴島城、板島城、丸串城
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 有り
- 御城印
-
- ―
- 入場料
天守]大人:200円
中学生以下:無料
[城山郷土館]無料
- 団体予約
団体割引 大人(20人以上):160円
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宇和島城の投稿口コミ(61件)
桜のお花見スポットとしても有名な観光地です。 春には敷地内いたるところに桜が咲き観光客で賑わいます。 駐車場料金も安く、年中無休なのも有難いです! 10万石を使用して築かれた本城は圧巻です!是非一度ご覧あれ!
1601年築城の名手である藤堂高虎により築かれたお城です。伊達政宗の長男秀宗が宇和郡10万石を拝領してこのお城へ入城されました。装飾性の高い破風などがあり、御殿建築の意匠が随所に見られます。
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