吉川家ゆかりの城
岩国城は、山口県岩国市横山に位置する、岩国市のランドマーク的存在として愛される城跡公園です。横山という丘陵の上に築かれた連郭式山城で、横山城の別名でも知られます。
かつては本丸には4重6階の天守を備え、領内を見渡していたそうです。山頂部の本丸は有事の際の要塞として、山麓には平時の居館や執務の場として御土居と呼ばれる建物が築かれたほか、二の丸、北の丸、水手曲輪、複数の櫓から構成されます。
築城は慶長6年(1601年)で、その前年の慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに西軍として参加して敗れた毛利輝元が本拠であった安芸広島から長門国の萩に移封されたことに伴い、その一族で忠臣である吉川広家が伯耆国米子から岩国に三万石を与えられて移封されたことに始まります。
豪壮な建築であったためか築城には実に八年の歳月を費やし、慶長13年(1608年)にようやく竣工を迎えますが、その後間もない元和元年(1615年)、幕府の政策である元和偃武の一環として発布された一国一城令に伴って、周防国にはこの岩国城しか存在しなかったにもかかわらず、長府藩の毛利秀元が居城の櫛崎城を破却したことに合わせる形で廃城となり、天守も破却されてしまいます。
しかしながら先述の御土居は岩国領の陣屋として存続し、明治を迎えます。また、慶応四年から僅かな期間のみ岩国藩が成立し、その際は藩政がこの御土居で行われました。
岩国の吉川家が諸侯として長く藩政を執り行わなかったのは、吉川家には毛利家の継承権がなかったためとも、かつて関ヶ原の戦いの際に生じた家中の不和のためとも言われます。
しかしながら現地の人々にとってこの地が拠り所であったことに変わりはなく、明治18年(1885年)からは御土居跡が吉香公園として整備され、旧時代の櫓を再現した錦雲閣が建設され(現存)、現代まで岩国の名所として愛されています。
昭和の城再建築ブームの際に天守構造図という絵図をもとに鉄筋コンクリート造の再現天守が復元され、それ以降はさらに多くの人々が集まるようになりました。春には桜、秋には紅葉と季節の景色が楽しめるほか、市街を一望できる名所です。ぜひ足を運んでみてください。