先日、5年ぶりに友人と岸和田城跡を訪れました。前回訪れたのはまだ学生の頃で、あのときは歴史的な背景よりも写真映えや雰囲気を楽しむことが中心でしたが、今回は社会人になった自分たちだからこそ感じられる良さが多くあり、より深くこの場所の魅力を実感することができました。 岸和田城は、大・・・

観光スポット|
日本の城
岸和田城跡
大阪府岸和田市にある「岸和田城跡」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、岸和田城跡の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。大阪府岸和田市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
岸和田城の概要
だんじり祭りで知られる大阪府岸和田市の「岸和田城」(きしわだじょう)は、昭和に入ってから再建された三層の天守と、城壁、城門、隅櫓が、美しい姿を見せる平城です。「岸和田城」があるのは、岸和田市の中央、かつて「猪伏山」(いぶせやま)と呼ばれていた小高い丘の上。本丸と二の丸を合わせた形が、機織りで使うちきりという道具に似ていたことから、別名「千亀利城」(ちきりじょう)とも呼ばれています。
「岸和田城」の起源は、1334年(建武元年)頃、「楠木正成」(くすのきまさしげ)が甥の和田高家に、当時「岸」と呼ばれていた彼の地に城を築かせたのが始まり。岸の和田殿ということから、「岸和田」という地名も生まれました。
当時は、現在の城がある場所から500m程離れたところにあり、城が移されたのは、その後の応永年間。お城ができ上がったのは、「羽柴秀吉」(はしばひでよし)の紀州征伐がきっかけで、「小出秀政」(こいでひでまさ)の手によって城郭の整備が進みました。
「岸和田城」の内部は、岸和田市の歴史資料などを展示している博物館となっており、天守からは岸和田市内を一望できます。毎年4月に開催されるお城まつりは、満開の桜の中、天守をライトアップ。また、遺構ではありませんが、1953年(昭和28年)に造られた、作庭家の「重森三玲」(しげもりみれい)氏の手による八陣の庭は、国の名勝にも指定されており、見どころのひとつです。
岸和田城の見どころ
1954年(昭和29年)に再建された「岸和田城」の天守は、三層の天守と二層の小天守という造りになっています。石垣の高さは約5m、石垣から上が約22mです。かつてあった五層の天守は、再現されたものよりもさらに10m程高かったと言います。
天守からは、国の名勝に指定された八陣の庭の全景を見ることが可能。八陣の庭というのは、1953年(昭和28年)に、昭和初期の代表的な作庭家の「重森三玲」氏が作った砂庭式枯山水の日本庭園です。三国志の英雄である「諸葛孔明」(しょかつこうめい)の兵法である八陣法をコンセプトにしており、3段の庭の1段目中央部には大将の石組が、2段目、3段目には、大将を守る8組の石組が置かれています。
「岸和田城」の遺構で特徴的なのは、内堀の石垣の周囲に、犬走りと呼ばれる周堤帯があること。犬走りは犬が通れる程の幅しかないものの、堀を渡った敵に石垣への足場を与えるようなもので味方を不利にするため、他の城ではあまり見かけません。それが「岸和田城」にある理由は、石垣に多く用いられた和泉砂石(いずみさがん)がもろい性質を持っていたので、それを構造的に補強するためだったとされています。1999年(平成11年)には豪雨で石垣が崩れたため補修工事が行なわれた際、当時の石垣から多くの墓石が見つかっています。
岸和田城の歴史
1334年(建武元年)頃に和田高家が築いた「岸和田城」の前身「岸和田古城」が、いつ頃に移動されたかは定かではありません。しかし、「楠木正成」の次に和泉国守護となった「山名氏清」(やまなうじきよ)の命により、和田氏の後任として岸和田に置かれた「信濃秦義」(しなのやすよし)が城を移したのではないかと言われています。
「岸和田城」が移動されたあと、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏と城主が変わり、根来・雑賀衆を押さえるための拠点として「岸和田城」を位置づけた「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)が、「小出秀政」を城主に。秀正は、1587年(天正15年)に城郭整備に着手。1597年(慶長2年)に天守が完成します。ちなみに、当時の天守は、残された絵図から、五層だったことが分かっています。
1619年(元和5年)には「松平康重」(まつだいらやすしげ)が城主となって城下を整備。1640年(寛永17年)に「岡部宣勝」(おかべのぶかつ)が入城して以降は、岡部氏の時代が続き、13代目のときに明治維新を迎えました。
1871年(明治4年)の廃藩置県で廃城になると、建物はすべて解体されてしまいます。ちなみに、天守については、明治維新を迎えるその40年程前の1827年(文政10年)に、落雷によって焼失してしまっていたため、廃城した頃にはすでに存在しませんでした。その後、1943年(昭和18年)には大阪府の史跡に指定を受け、1954年(昭和29年)に連結式望楼型三重の天守が、1969年(昭和44年)に城門と櫓が再建されています。



※この写真は「投稿ユーザー」様からの投稿写真です。
この施設の最新情報をGETして投稿しよう!
地域の皆さんと作る地域情報サイト

岸和田城跡の基礎情報
- 施設名称
- 岸和田城跡
- 所在地
- 〒596-0073
大阪府岸和田市岸城町9-1
- TEL
- 072-423-9579
- 交通アクセス
-
-
葛城線42系統「「上古城」バス停留所」から「岸和田城跡」まで 徒歩6分
-
阪神高速4号湾岸線「岸和田南出入口(IC)」から「岸和田城跡」まで 840m
※岸和田城跡までの距離は、直線距離から算出し表示しております。直線距離の確認・目安としてご活用ください。
実際の正確な道路距離・所要時間・経路については「経路検索」ボタンをクリックし、Googleマップにてご確認ください。 -
- 営業時間
午前10時〜午後5時(入場は午後4時まで)
※ お城まつり期間中(4月1日〜15日)は午後8時30分まで(入場は午後8時まで)。
- 休城日
-
毎週月曜日(月曜日が祝日・休日の場合、及びお城まつり期間中(4月1日〜15日)は開場) 年末年始(12月29日〜1月3日) 展示替の期間(臨時休場)
- 別名
- 千亀利城(ちきりじょう)
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 有り
- 御城印
-
- ―
- 入場料
大人 300円
中学生以下 無料
- 団体予約
団体割引 25人以上 3割引
- 更新時期により、最新の情報と異なる場合がございます。
- 基礎情報の一部は投稿ユーザー様からの投稿情報です。
- 掲載された情報内容の正確性については一切保証致しません。
「岸和田城跡」へのアクセス
-
全国各地から当施設への交通アクセス情報をご覧いただけます。「経路検索」では出発地から当施設へ、または当施設から目的地までの経路を検索することが可能です。
交通アクセス情報を見る- バスでお越しの方
バス停から施設までの徒歩経路検索 - バスでお越しの方に便利な、最寄りのバス停から施設までの徒歩経路検索が可能です。
- バスでお越しの方


岸和田市の地域情報
岸和田城跡の地図

「岸和田城跡」の施設情報
地域の皆さんと作る生活情報/詳細情報/口コミ/写真/動画の投稿募集中!写真/動画投稿は「投稿ユーザー様」「施設関係者様」いずれからも投稿できます。
岸和田城跡の投稿口コミ(76件)
大阪府岸和田市にある歴史的な城跡です。この城は、戦国時代に岸和田藩の拠点として築かれ、豊臣秀吉の家臣であった松浦氏が支配していたみたいです。また、江戸時代には岸和田藩の藩庁としても利用されていました。
岸和田城跡の投稿写真(173枚)
岸和田城跡の投稿動画(13本)
- 岸和田城跡 近くの生活利便施設
-
施設の周辺情報(タウン情報)
「岸和田城跡」の周辺施設と周辺環境をご紹介します。
城ランキング
お気に入り施設の登録情報

ホームメイト・リサーチに
口コミ/写真/動画を投稿しよう!
「口コミ/写真/動画」を投稿するには、ホームメイト・リサーチの「投稿ユーザー」に登録・ログインしてください。
Googleアカウントで簡単に最も安全な方法で登録・ログインができます。
ゲストさん
- ゲストさんの投稿数
-
今月の投稿数 ―施設
- 累計投稿数
-
詳細情報
―件
口コミ
―件
写真
―枚
動画
―本