豊橋駅から車で5分程の所にあり、現在は豊橋公園となっています。国道1号線の吉田大橋からは再建された鉄櫓を見ることができ、中は博物館になっています。天守閣のような立派な建物はありませんが、石垣やお掘など昔のまま残されている遺構もあり、公園内を散歩しながらこれらの遺構を見て回るのも楽しい・・・

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日本の城
吉田城
愛知県豊橋市にある「吉田城」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、吉田城の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。愛知県豊橋市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
吉田城の概要
「吉田城」(よしだじょう)が築城されていた場所は、ちょうど豊橋市今橋町にある豊橋公園内にあたる場所。お城の前身は、16世紀初めに築かれ、その後16世紀末に「徳川家康」(とくがわいえやす)が攻略し、拡張を行なうなどの大改革が実施されました。
戦国時代初期には、三河支配の重要拠点であった「吉田城」を巡り、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられました。1564年(永禄7年)には、松平時代の家康公が「吉田城」の攻略を果たし、「酒井忠次」(さかいただつぐ)が城主に。忠次は「吉田城」を改築し、堀を新たに掘ったことが発掘調査において確認されています。その後、羽柴秀吉配下の「池田輝政」(いけだてるまさ)が城主となり、大城郭を改造しました。
「池田輝政」は世界遺産に指定されている「姫路城」の5層天守を大改修したことでも有名です。「吉田城」の城主となったのちに、「姫路城」の城主となりました。「吉田城」の鉄櫓(くろがねやぐら)下にある石垣も「池田輝政」が築いたもので、これは遺構として残存。石垣は当時にしては、最新の技術で積まれたと言われています。
築城当初の呼び名は「今橋城」、明治維新後には「豊橋城」と呼ばれるようになり、のちに改称されて「吉田城」という名で呼ばれています。市民に親しまれている豊橋公園の中に、復興された鉄櫓が美術博物館などとともにある吉田城跡。城全体の敷地としては、公園全体、及び隣に位置する市役所の敷地を合わせた面積21.6haが旧吉田城跡となり、これは敷地面積が3.7haの「名古屋城」よりも広い敷地です。旧日本軍の部隊が置かれたこともあり、その名残も一部残っています。
吉田城の見どころ
戦国期の「吉田城」の構造は土盛りと素掘りによる簡素なものだったと考えられています。「池田輝政」が行なった改築により、本丸は北側に川を背にしており、二の丸と三の丸、そして侍屋敷が本丸を囲むという半円郭式の平城でした。本丸は石垣が組まれており、南側は石垣と隅櫓で囲むように構築され、その外側は空堀となっていました。天守はなく、鉄櫓が天守の代わりとなっていたと考えられています。
大規模に改造された「吉田城」ですが、本丸とその他の数ヵ所に石垣があるだけで、他は土塁でした。本丸石垣の壁面数は内側と外側を合わせ50面程です。砕いた自然石を積んでいく野面積みである鉄櫓の石垣は「池田輝政」が積んだもの。さらに、石垣の石に様々な印が刻まれていますが、これは石垣刻印と呼ばれています。「大阪城」や「名古屋城」にも見られる刻印とは、築城工事の際に動員された大名や家臣の印。50以上の印が確認されており、その中の土佐藩の印は「名古屋城」を築城した際に余った石垣を「吉田城」に転用したことが分かる貴重なものです。
土塁で囲まれている二の丸には、二の丸御殿や弾薬庫など、また細長い形状の金柑丸が二の丸の北と本丸の東側にありました。「牧野古白」(まきのこはく)による築城時の本丸がこのあたりであったと言われています。三の丸も同様に土塁で囲まれ、土蔵や米蔵、長屋などがあり、その外側は侍屋敷が広がっていて、場外とは総堀で囲われていました。
吉田城の歴史
1505年(永正2年)に「牧野古白」(まきのこはく)により築かれた「今橋城」の城名を「吉田城」に改めたのは1522年。その後、松平氏と戸田氏の間で争奪戦が続き、1546年(天文15年)には「今川義元」(いまがわよしもと)が攻略し、城代を置きました。1560年(永禄3年)には桶狭間の戦いがあり、「今川義元」が「織田信長」(おだのぶなが)により討たれます。
1564年(永禄7年)に「徳川家康」が「吉田城」を攻略し、城主に「酒井忠次」を置きました。1590年(天正18年)には、家康が関東へ移封し、代わって「池田輝政」が入城し、十五万二千石の城にふさわしい城下町へと整備。しかし、輝政は在城10年の後に播磨姫路に移封となり、城の拡張工事に着手していたものの完成には至りませんでした。
江戸時代に入ると、三河吉田藩の藩庁が幕藩体制の下で「吉田城」に置かれました。東海道の重要な防衛拠点であったため、幕府の老中や大坂城代など有能な譜代大名が城主として選ばれたため、出世城とも呼ばれています。
竹谷松平家や深溝松平家をはじめ、水野氏や小笠原氏といった譜代大名のみに「吉田城」は託されますが、国替えが頻繁で宗派も違うため、この城に菩提寺を置くのは困難でした。そのため、藩主の多くは「吉田城」に菩提寺を造っていません。唯一藩主の菩提寺を造ったのは小笠原家が代々祀られている臨済寺のみ。1749年(寛延2年)には、遠江浜松より松平(大河内)信復が7万石で入封し、以来、松平氏が代々「吉田城」を領しました。



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吉田城の基礎情報
- 施設名称
- 吉田城
- 所在地
- 〒440-0801
愛知県豊橋市今橋町
- TEL
- 0532-51-2430
- 営業時間
開場時間:10:00
閉城時間:15:00
鉄櫓の内部公開は毎週日曜・祝日(振替休日除く)のみ
- 休城日
-
鉄櫓は毎週日曜・祝日(振替休日除く)のみ内部公開
- 別名
- 松尾城
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 有り
- 駐車場案内
ホームページ - https://www.aichi-now.jp/spots/detail/216/
- 御城印
-
- ―
- 入場料
無料
- 団体予約
団体割引 無し
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吉田城の投稿口コミ(61件)
吉田城は豊橋市の市役所の隣にあるお城で、サイクリングの時休憩がてら立ち寄りました。吉田城はもともと今橋上でしたが、今橋の地名が改められた際に吉田城となりました。吉田城の歴代藩主には幕府の要職を務めることが多かったので出世城とも呼ばれています。
豊橋市役所のお隣にある豊橋公園に、吉田城はあります。JRの豊橋駅から歩けないことはありませんが、せっかく豊橋に来たなら路面電車で豊橋公園に行くのがおススメです。豊川超しに見る吉田城はとてもきれいです。
吉田城の投稿写真(144枚)
吉田城の投稿動画(12本)
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