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日本の城
山中城
静岡県三島市にある「山中城」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、山中城の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。静岡県三島市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
山中城の概要
「山中城」(やまなかじょう)は静岡県三島市にあった山城で、箱根外輪山(はこねがいりんざん)の尾根を利用して、南西側の斜面に扇形に築かれました。1930年(昭和5年)に、国の史跡に指定されています。
永禄年間(1558〜1570年)に、「北条氏康」(ほうじょううじやす)が城主であった「小田原城」(おだわらじょう)の番城(ばんしろ)として築城され、城の守衛として、幕府から派遣された城番が置かれていました。西の防衛を担う役割を果たしていた「山中城」は、「箱根十城」のひとつとしても有名です。
「山中城」は、石ではなく土のみを使って造られた全国でも非常に珍しいお城で、堀の造りに大きな特徴があった、後北条氏の築城方法がよく分かる城跡になっています。
「山中城」のような山城を運用するにあたって重要となってくるのが、将兵や馬のための水源を確保すること。曲輪(くるわ)となっていた尾根と尾根との間にあった湧水源を利用して、2つの溜め池が造られていました。そのうちの上流にあった箱井戸が将兵用に、また、下流側の田尻の池(たじりのいけ)が、馬用の飲み水として使われていたと考えられています。
山中城跡公園にあるこれらの池では、毎年5月頃になると睡蓮の花が咲き始め、8月中旬頃までその美しさを楽しむことが可能。さらには、富士山や駿河湾の雄大で美しい景色を望むことができます。
山中城の見どころ
「山中城」は、箱根山の山脈にある3本の尾根を利用して、本丸、二の丸及び三の丸といった3つの出丸を配した山城です。粘土質が高く、滑りやすいという土壌の特性を活かした土塁や堀が多く設けられていることが見所だと言えます。
これらは遺構としてきちんと整備されているため、当時の後北条氏独特の防御術を知ることが可能。中でも目を見張るのが、「山中城」の最前線基地であった岱崎出丸(だいさきでまる)の防衛面で一助とするべく、南側の尾根の上に築かれた畝堀(うねぼり)。堀の底に一定間隔の畝が直角に掘り残されており、「山中城」の最大の特徴である、水が張られていない空堀(からぼり)で土がむき出しになっていました。いったん底に落ちると自由を奪われて動きが極端に鈍くなり、脱出することが困難であったと言われています。
また、畝堀と同じくらい「山中城」の代名詞として知られているのは、尾根の西側に設置された西の丸と西櫓の間で見られる障子堀(しょうじぼり)。その名の通り、堀の底に作られた畝が障子の桟のように格子状に区画されています。
山城としては珍しく用水地をかねた水堀になっており、人ひとりがやっと通ることのできる畝の幅でとても複雑な造りでした。敵陣の動きを制限することができ、数の上での不利になっている弱点を補うことが充分に可能だったのです。
山中城跡公園では、これら2つの堀のみならず、土塁などの様々な遺構の風化を防止するために、それぞれが芝生で覆われ、保護されています。それらによって、築城当時の姿をひと目で想像することが可能です。
山中城の歴史
北条氏によって築城された「山中城」は、1589年(天正17年)、「北条氏政」(ほうじょううじまさ)の時代に「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)との関係が悪化したことにより、秀吉からの「小田原城」への攻撃が予想されたため、後北条氏の最前線拠点とすることになりました。
「山中城」の大改修を行ない、堀や岱崎出丸(だいさきでまる)などを増築させて防備を強化しようとしましたが、未完成のまま、「北条氏勝」(ほうじょううじかつ)が城主であった1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣方の大軍から猛攻を受けることになったのです。
豊臣方の軍勢が約7万であったのに対し、北条方は城代(じょうだい)「松田康長」(まつだやすなが)、副将「間宮康俊」(まみややすとし)以下、約4,000の兵が「山中城」に籠もっているのみ。豊臣方の圧倒的な力攻めの前に北条方は為す術もなく、たった半日で陥落したと言われています。そしてこの戦いのあと、「山中城」は廃止されることになりました。
なお、「山中城」の三の丸跡にある宗閑寺(そうかんじ)境内には、松田氏と間宮氏などが眠る山中城将の墓があり、その隣には豊臣方の武将であった「一柳直末」(ひとつやなぎなおすえ)の墓も見られます。
1973年(昭和48年)から、三島市が市の事業として山中城跡を公園化するための整備を行なったと同時に、すべての曲輪の発掘など学術的な調査もなされました。その築城技術や歴史的な価値が高いとの評価を受け、2006年(平成18年)には、日本100名城に選定されています。


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山中城の基礎情報
- 施設名称
- 山中城
- 所在地
- 〒411-0011
静岡県三島市山中新田410-4
- TEL
- 055-971-5000
- 交通アクセス
-
-
三島駅-元箱根港線「「山中」バス停留所」から「山中城」まで 徒歩3分
※山中城までの距離は、直線距離から算出し表示しております。直線距離の確認・目安としてご活用ください。
実際の正確な道路距離・所要時間・経路については「経路検索」ボタンをクリックし、Googleマップにてご確認ください。 -
- 営業時間
散策自由
※売店は10:00〜16:00(冬季は10:30〜15:30)
- 休城日
-
- 月曜日
年末年始
- 別名
- なし
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 有り
- 駐車場案内
ホームページ - https://www.mishima-kankou.com/spot/282/
- 御城印
-
- ―
- 入場料
無料
- 団体予約
団体割引 無料
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山中城の投稿口コミ(35件)
三島市にある城跡。お堀や道がとても綺麗に整備されておりとても歩きやすい。標高が高いところにあるため冬場はとても寒いが、富士山がとても綺麗に見えるため、新年の初日の出は必見。
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