伝 武田信玄生誕地
要害城は、武田信玄の父 武田信虎が躑躅ヶ崎館に居城を移した際に詰めの城として築かれた城で、別名は、要害山城・積翠山城といいます。
駿河国の今川家臣福島正成の侵略に備えて、信虎は正室の大井夫人をこの城に避難させ、夫人はその最中に城中で武田信玄を出産したそうです。
登山口からはほぼ一本道で、よく整備されているので、迷う事はないと思います。
最近、続日本100名城の一つに選ばれたので、10年ぶりに再登城しました。登城口に桜の花が咲いていて、とてもキレイでした。登城口には、木の杖がありますので借りていきましょう。熊出没情報もあるので、熊除けの鈴も必携です。
前回は30分くらいで主郭まで登れたのに、今回は45分くらいかかり、途中、老夫婦に抜かれてしまったり、体力の衰えを感じずにはいられませんでした。
堀切や土塁、曲輪、門跡を撮影しながら、やっとの思いで主郭に辿り着き、寝転んで天を仰ぎました。
体力が回復して、主郭を探索すると、「武田信玄公誕生之地」と刻まれた石碑が、東郷平八郎著ということに気が付きました。主郭周辺は整備されていて、立派な竪堀や土塁などがわかりやすくなっていました。また、前回は曇り空で見えなかった富士山も頭を覗かせていました。当初の予定では、要害山城から尾根伝いに、熊城まで行くつもりでしたが、体力不足だったので断念しました。
ちなみに、続日本100名城のスタンプは、甲府駅北口にある藤村(ふじむら)記念館に置かれています。要害山城の縄張り図も頂けるので、登城前に訪れた方がいいかもしれません。