神奈川県横須賀市にある衣笠城跡になります。お城としましては三浦氏とゆかりが深い城になります。ハイキングコースもありますのでお城までの間の探検もできるので自然を感じられます。

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日本の城
衣笠城跡
神奈川県横須賀市にある「衣笠城跡」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、衣笠城跡の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。神奈川県横須賀市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
衣笠城の概要
「衣笠城」(きぬがさじょう)は、平安時代から鎌倉時代にかけて、三浦半島を治めていた三浦一族が居城とした中世の山城。当時の城が残っているわけではありませんが、衣笠城跡は鎌倉時代の幕開けを感じさせる貴重な史跡として、1966年(昭和41年)に、神奈川県横須賀市の文化財として指定されています。
「衣笠城」には、堀や石垣、天守閣は存在しません。山城のため堀の代わりとして、隣接する深山川や大谷戸川など、あるがままの自然の要害が巧みに活用されています。なお、宿敵であった北条氏の攻撃に備え、鎌倉時代後期には大規模な改修工事が行なわれました。
衣笠城跡から谷を隔てた隣には、衣笠山公園が整備されており、公園から三浦半島内で最高峰(標高242m)の大楠山へのハイキングコースも充実。さらに、園内全域には約2,000本の桜が植えられており、春になると衣笠さくら祭が開かれることでも有名。公益財団法人日本さくらの会によるさくら名所100選の地にも選ばれ、県内屈指の花見スポットとして知られています。
なお、バス停「衣笠城跡」の周辺は、竹やぶが広がっており、かつては大矢部という地名が付けられていました。ここでは名物の矢竹を見ることが可能です。節の間が長めで、茎の断面がきれいな円形であることから、和弓の材料として使用されており、矢部や大矢部という苗字の由来には、矢竹が関係していると言われています。
衣笠城の見どころ
「衣笠城」及びその周辺には、中世に三浦半島を治めていた三浦氏一族ゆかりの名所旧跡が多数点在。例えば、追手口から「衣笠城」に向かう坂は有名な地形のひとつで、馬返しの坂と呼ばれています。さらに衣笠城跡の南東に位置する大善寺の下には、不動の滝と呼ばれる水場があり、これは「衣笠城」の戦闘用水や生活用水として用いられていました。
不動の滝を通り過ぎて、大善寺に向かう階段を越えたところにある切り通しの道。この道は、「衣笠城」の西木戸裏口がおかれた搦手口(からめてぐち)と呼ばれており、馬がやっと一頭通れる程の細い道が続くため、衣笠合戦で平家軍の攻撃に対して、「和田義盛」(わだよしもり)ら150騎が守ったと言われている場所です。搦手口の南方にある平地には、武士たちが訓練を実施していた練武場跡が広がり、周辺には土塁跡も。さらに、急な坂道を下ると、堀口や馬喰い井戸などの遺構も確認できます。
大善寺の本堂脇にある階段を上ると、第一の平場と呼ばれる場所にたどり着きます。この場所には、かつて「金峯蔵王権現」(きんぷざおうごんげん)を祀った社が置かれていたとされる碑が佇んでいます。さらに進むと、物見岩と称される大きな岩があり、4代目城主「三浦義明」が、この岩の上から衣笠合戦の戦況を確認しながら指揮を執りました。なお、大正時代の史跡整備の際には、刀剣や経筒などが物見岩の下から発見されています。
衣笠城の歴史
「衣笠城」は、1058年(康平元年)から1065年(康平8年)の間に、「三浦為通」(みうらためみち)によって城が築かれました。為通は、「源頼義」(みなもとのよりよし)の命にしたがって前九年の役に参戦し武功を挙げたため、三浦半島の領地と三浦姓を与えられた、三浦氏一族の祖となる人物です。
為通の子で2代目の「三浦為継」(みうらためつぐ)は、「源義家」(みなもとのよしいえ)とともに後三年の役にて手柄を上げ、三浦氏は源氏との繋がりを深めていきました。さらに、1144年(天養元年)には、「源義朝」(みなもとのよしとも)が「大庭御厨」(おおばのみくりや)に侵攻する際、3代目「三浦義継」(みうらよしつぐ)は、子の「三浦義明」(みうらよしあき)とともに「源義朝」を支援。その後、三浦一族は、相模国最大の武士団として成長します。
しかし、1180年(治承4年)には、三浦氏に転機が訪れます。4代目「三浦義明」は、「源頼朝」の挙兵に応じて、子の「三浦義澄」(みうらよしずみ)など三浦氏一族を石橋山の合戦の地である相模石橋山(小田原市)に向かわせました。しかし、合戦には遠方から駆けつけていたため間に合わず、一族は「衣笠城」に引き返したものの、敵の平家軍による攻撃を受けて義明は討ち死にし「衣笠城」は落城。この合戦が、「衣笠城」を有名にした「衣笠合戦」です。
三浦氏一族は、一旦安房国(千葉県)へ逃れるものの、引き続き源氏の直属軍として活躍。鎌倉時代には、北条氏と並び称される程の実力を持つようになり、三浦氏一族は再び「衣笠城」を拠点として勢力を拡大。しかし、1247年(宝治元年)の7代目「三浦康村」(みうらやすむら)のときに、北条氏の謀略により、「衣笠城」は廃城となりました。


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衣笠城跡の基礎情報
- 施設名称
- 衣笠城跡
- 所在地
- 〒238-0026
神奈川県横須賀市衣笠町
- TEL
- 046-822-4000
- 交通アクセス
-
-
JR横須賀線「衣笠駅」から「衣笠城跡」まで 徒歩18分
-
衣2「「衣笠城趾」バス停留所」から「衣笠城跡」まで 徒歩10分
-
横浜横須賀道路「衣笠IC」から「衣笠城跡」まで 640m
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- 営業時間
通年営業
- 休城日
-
なし
- 別名
- なし
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 無し
- 御城印
-
- ―
- 入場料
無料
- 団体予約
団体割引 無料
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「衣笠城跡」の施設情報
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衣笠城跡の投稿口コミ(26件)
衣笠城跡は衣笠駅から徒歩20分ほどです。 現在は小さな公園になっていますが、昔は三浦一族のお城があった場所です。 春には多くの桜が咲き観光客で賑わいます。 散歩にも良いかと思います。
衣笠城跡は、神奈川県横須賀市衣笠町にあったお城の跡地です。 三浦半島の中央部に立地していて横須賀市指定の史跡となっています。 三浦為通が、衣笠山に作った城が衣笠城の始まりで、この城は三浦氏の本拠地となり、三浦氏の勢力拡大にあたって増築されていきました。
衣笠城跡の投稿写真(22枚)
衣笠城跡の投稿動画(8本)
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