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日本の城
高崎城
群馬県高崎市にある「高崎城」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、高崎城の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。群馬県高崎市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
高崎城の概要
「高崎城」(たかさきじょう)は群馬県高崎市にあった平城で、「徳川家康」(とくがわいえやす)の命により、箕輪城主だった「井伊直政」(いいなおまさ)が築城。もともとこの地は和田氏が支配しており、「和田城」が建っていました。そのため別名を「和田城」とも呼ばれることもありますが、同一の城ではありません。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、「井伊直政」は「石田三成」(いしだみつなり)の居城であった「近江国佐和山城」に移ることに。その後、城主となったのは諏訪家、酒井家、戸田松平家、藤井松平家、安藤家、大河内松平家、間部家、大河内松平家らです。有力な譜代大名が歴任していたことから、「高崎城」は重要視されていたと考えられています。
また「高崎城」は、かつて「駿河大納言」(するがだいなごん)と呼ばれていた「徳川忠長」(とくがわただなが)が幽閉されていたことでも有名。「徳川忠長」は2代将軍「徳川秀忠」(とくがわひでただ)の3男で「徳川家康」の孫、3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)の弟です。当時の高崎城主だった「安藤重長」(あんどうしげなが)が何度も赦免を訴えるも認められず、1633年(寛永10年)にはこの地で自害したという説があります。
城跡は市街化が進んでいますが、武器や食料の収蔵庫である乾櫓(いぬいろ)が現存。群馬県内で現存する唯一の城郭建築として群馬県重要文化財に指定されました。高崎城跡のお堀では、桜の開花時期にはお堀がライトアップされ、夜桜見物に多くの人が訪れます。
高崎城の見どころ
「高崎城」は本丸、二の丸、三の丸を持つ囲郭式構造の平城で、郭内だけでも5万坪を超える程の広さです。本丸は鳥川を天然の外堀とし、御3階櫓(天守)を取り囲むように、4隅に隅櫓が置かれていました。北西に乾(いぬい)、北東に艮(うしとら)、南東に巽(たつみ)、南西に坤(ひつじさる)の4基。そのうち乾だけが現存しており、群馬県重要文化財に指定されています。
この乾櫓は明治初年に民間に払い下げられ、納屋となっていました。しかし、1974年(昭和49年)に所有者から群馬県へ寄付され、現在の三の丸模擬石垣の上に移築して復元。瓦は民間宅に保存されていた「高崎城」のもので、屋根のしゃちほこや塀は高崎城のものの模造です。また本丸門など城内にあった16の門のうち東門が移築復元されています。この東門は武士や商人などの城内への出入り口となった通用門。この通用門があった東門は1980年(昭和55年)に、所有者から寄付された乾櫓は1974年(昭和49年)に、それぞれ群馬県指定の重要文化財に指定されました。
高崎城跡は、数多くの公共施設が建ち並んでいますが、そのうち約4.9haを高崎城跡公園として整備。乾櫓や東門が移築されているのも同公園です。その他、三の丸外囲の土居と堀も残っており、1982年(昭和57年)には高崎市指定史跡となっています。
高崎城の歴史
「高崎城」があった地は古くから和田氏の支配下にあり、平安時代末期には「和田城」が建てられました。しかし和田氏は北条氏に属しており、1590年(天正18年)の小田原征伐の際に「前田利家」(まえだとしいえ)や「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)らの大軍に攻められ「和田城」は落城。
「和田城」があったのは三国街道と中山道の分岐点で、交通の要衝として重要な役割を担っていました。そのため「徳川家康」は、徳川四天王にも数えられる「井伊直政」に築城を命令。箕輪城主だった「井伊直政」が「箕輪城」から多くの建物を移築し、1598(慶長3年)に完成させたのが「高崎城」です。
「井伊直政」は箕輪から町屋や寺院も移転させて城下町を築き、地名も和田から高崎に変更。江戸時代になると「高崎城」は高崎藩の藩庁としても機能するようになり、高崎は発展を遂げていきました。
そののちも「高崎城」は改築を繰り返し、天守に相当する御3階櫓が築かれたのは安藤家が城主となった1619年(元和5年)以降。享保時代(1716〜1736年)に書かれたとされる書物高崎城大意には、3代「安藤重博」(あんどうしげひろ)が平屋の土蔵だった乾櫓を2層の櫓に改築したと記されています。その後も城主は代わり、1717年(享保2年)には「松平輝貞」(まつだいらてるさだ)が入封。以後、明治維新後に廃城になるまで、「高崎城」の城主は10代に渡り松平氏が務めました。


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高崎城の基礎情報
- 施設名称
- 高崎城
- 所在地
- 〒370-0829
群馬県高崎市高松町
- TEL
- 027-321-1111
- 交通アクセス
-
-
JR上越新幹線「高崎駅」から「高崎城」まで 徒歩10分
-
高崎駅-群馬温泉「「新町銀行前」バス停留所」から「高崎城」まで 徒歩3分
-
関越自動車道「高崎IC」から「高崎城」まで 5.2km
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- 営業時間
年中無休
- 休城日
-
なし
- 別名
- なし
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 無し
- 御城印
-
- ―
- 入場料
無料
- 団体予約
団体割引 無料
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高崎城の投稿口コミ(25件)
高崎城は高崎市役所すぐにあります。 高崎城は井伊直政が築城しました。しかし、のちに井伊直政は近江国に移封となりました。 高崎城隣には音楽センターがあります。 お堀と石垣は現在も残っています。
高崎城は、群馬県高崎市にあったお城です。 小田原征伐後、関東に徳川家康が移封され、徳川家康の家臣で箕輪城主であった井伊直政が、高崎城の城主となりました。 しかし、関ヶ原の戦いの後、井伊直政は近江国の佐和山城に移封となり、その後、 いろいろな譜代大名が入れ替わっています。
高崎城の投稿写真(34枚)
高崎城の投稿動画(10本)
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