関東有数の山城
案内看板によると平安時代くらいから土着の佐野氏が居城として整備されたと書いてある。山頂を利用した連郭式のお城は各地に色々とあるが、この唐沢山城の白眉は数百年の年月を重ねながら積み上げたであろう石垣の雄大さだ。
話は脇道に逸れますが、佐野氏といえば梅鉢伝説だ。鎌倉時代、北條時頼が出家し諸国を行脚した際に佐野氏の居館を訪れた。佐野氏は僧を特別にもてなすこともできないので、せめて暖を取ってくださいと自慢の盆栽を手折り炉に焚べた。自分は貧に喘いでいるが、いざ鎌倉と呼び出されれば衆に遅れを取る物ではないと心意気を語る。
後日、時頼が号令を掛け御家人が鎌倉へ参集すると佐野氏の姿を認められ鎌倉武士の鑑と嘉賞されましたとさ、で物語は終わる。
さて、佐野氏の居館と伝わる唐沢山城だが、こんな山の上で暮らしていたのだろうか?甲府にある武田氏の躑躅ヶ崎館も平時の政務は館で執り、戦時は館の背後にある要害山城に籠る作戦と聞く。
北関東では寒さも厳しかろうから、やはり山上は戦時のみ使用し、平時は麓に館を構えていたのでは無いかと思います。そして時頼を出迎えたのも麓の館だったのでは無いかな?と勝手に想像を膨らましてみました。
早い話、それくらい急な山の斜面に城が作られています。
夏場、山頂から見渡す青々とした関東平野は実に雄大です。冬場の澄んだ青空の向こうにある上毛の峰々も見応えがあります。
車で山頂近くまで行けるので、家族連れで気軽に楽しめる城址公園です。