案内看板によると平安時代くらいから土着の佐野氏が居城として整備されたと書いてある。山頂を利用した連郭式のお城は各地に色々とあるが、この唐沢山城の白眉は数百年の年月を重ねながら積み上げたであろう石垣の雄大さだ。 話は脇道に逸れますが、佐野氏といえば梅鉢伝説だ。鎌倉時代、北條時頼が出家し・・・

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日本の城
唐沢山城
栃木県佐野市にある「唐沢山城」の城情報をご案内します。こちらでは、地域の皆様から投稿された口コミ、写真、動画を掲載。また、唐沢山城の周辺施設情報、近くの賃貸物件情報などもご覧いただけます。栃木県佐野市にある日本の城をお探しの方は、「刀剣ワールド 城」がおすすめです。
唐沢山城の概要
「唐沢山城」(からさわやまじょう)は、栃木県佐野市の北部にある唐沢山に作られた戦国時代の山城。関東一の山城と言われた名城で、川越城や忍城、前橋城などとともに関東七名城のひとつにも数えられています。別名を「栃本城」、「根古屋城」、「牛ヶ城」などと呼ばれていました。平将門の乱を平定し、むかで退治の伝説が伝えられる「藤原秀郷」(ふじわらひでさと)が築城したのが始まりと言われていますが、その事実を伝える史料は残されていません。
「唐沢山城」は、標高約247mの唐沢山の山頂を本丸とし、その周辺に曲輪をおいた連郭式の山城で、唐沢山全体が城に。急崖と、複雑に入り組んだ尾根や沢などに囲まれ、上杉軍や北条軍による度重なる攻撃を受けても落ちることのなかった堅城として知られています。
現在は、山頂の本丸跡に唐沢山神社を建設。唐沢山神社は、「唐沢山城」を居城とした佐野氏の祖「藤原秀郷」が祀られており、辺り一帯は栃木県立自然公園として、整備されました。
さらに2014年(平成26年)には、国の史跡に指定。「唐沢山城」では、関東の古城には珍しく石垣が作られており、現在も遺構としてその姿をみることが可能です。曲輪や堀、井戸なども良好な状態で残っており、みどころはたくさんあります。
唐沢山城の見どころ
「唐沢山城」は、関東の古城としては珍しく、高石垣が造られている城。現在も良い状態で残っており、当時の姿を見ることが可能です。特に本丸周辺は高石垣となっています。
本丸から西側には、二の丸、三の丸、天徳丸などが階段状に造られており、南の尾根には南丸が、北東の尾根には長門丸、金の丸、杉曲輪、北城などが置かれていました。現在は、堀切や土塁、大手枡形、曲輪などが良好な状態で残されており、かつての姿をイメージすることが可能です。
今でも満々と水をたたえた大炊井や、茶の湯で使用されたという本丸下にある車井、薬草を栽培していたというお花畑、ものみ櫓があった天狗岩なども見ることが可能。姫御殿があったとされる北城の跡は、キャンプ場になっています。
「唐沢山城」は非常に遠くまで見通しの良い城でした。南城のあたりからは、今でも天気の良い日に東京スカイツリーや新宿、池袋の高層ビル群などを見られることも。当時、城から江戸方向を眺めて江戸の大火を発見し、信吉が早急に江戸に駆け付けますが、逆に、「江戸城」を見下ろすような場所に城を造るとは何事かと幕府から叱責を受け、「唐沢山城」の廃城を命じられたという逸話も伝わっています。
唐沢山城の歴史
伝承によれば、築城主であった「藤原秀郷」以降、5代にわたって「唐沢山城」を居城としましたが、その後、秀郷の子孫にあたる6代目の「藤原成行」(ふじわらなりゆき)が足利荘に移ったため廃城。1180年(治承4年)には9代目「藤原俊綱」(ふじわらとしつな)の弟であった成俊が、「唐沢山城」を再興し、それ以後佐野氏を名乗ったと伝えられています。室町時代になって、1491年(延徳3年)には、佐野氏中興の祖と言われる「佐野盛綱」(さのもりつな)が、中世の城郭として「唐沢山城」に大規模な改修を行ないました。
戦国時代には、佐野氏は越後の上杉氏と相模の北条氏との勢力争いに翻弄。1559年(永禄2年)、上杉方についた「佐野昌綱」(さのまさつな)は、北条氏と敵対していましたが、その嫡男「佐野宗綱」(さのむねつな)はその後上杉方と決裂。10度にわたって上杉勢に攻め込まれ、城は落ちずに持ち応えたことから、「唐沢山城」は天下の名城と呼ばれていました。
そのあと、北条家から養子を迎え、北条氏と和議を結んだ佐野氏でしたが、1590年(天正18年)の「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)の小田原攻めに際しては、豊臣方について北条勢を一掃。「秀吉」から所領を安堵されます。豊臣家家臣の「富田一白」(とみたいっぱく)より養子として迎えられた「佐野信吉」(さののぶよし)が城主となりますが、関ヶ原の戦いでは徳川方につき、「家康」より所領を安堵されて佐野藩が成立。
1602年(慶長7年)、唐沢山麓に築城された「佐野城」(春日岡城)に佐野氏が移ったため、「唐沢山城」は廃城となりました。1883年(明治16年)には本丸跡に唐沢山神社が建立され、1965年(昭和40年)には県立自然公園が設立。2014年(平成26年)に、国の史跡となります。


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唐沢山城の基礎情報
- 施設名称
- 唐沢山城
- 所在地
- 〒327-0801
栃木県佐野市富士町
- TEL
- 0283-24-5111
- 営業時間
無し
- 休城日
-
無休
- 別名
- 根古屋城、牛ヶ城
- 築城主
- ―
- 駐車場
-
- 有り
- 駐車場案内
ホームページ - http://karasawayama.com/area/#annai
- 御城印
-
- ―
- 入場料
無料
- 団体予約
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唐沢山城の投稿口コミ(23件)
唐沢山城は、栃木県佐野市にあります。平安時代中期に藤原秀郷が築城。(諸説あり)247mの唐沢山の山頂が本丸。本丸を囲むように曲輪や堀、石垣が守りを固めています。建物は残っていませんが、山全体が要塞のようで、中世の山城の雰囲気がよく残っています。
唐沢山城は、栃木県佐野市にあるお城です。 関東七名城の一つで佐野市街地の唐沢山の山頂を本丸として一帯に曲輪が配されていた連郭式山城です。 戦国時代には、上杉謙信の10度にわたる攻城を受けても、度々撃退して謙信を悩ませるほどの堅固さたことで有名です。
唐沢山城の投稿写真(31枚)
唐沢山城の投稿動画(5本)
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