日本の城と戦国武将
豊臣秀吉(豊臣秀吉と城一覧)
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「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)は、1537年(天文6年)2月6日~1598年(慶長3年)8月18日に生きた戦国武将です。



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豊臣秀吉とゆかりの城について、その歴史を紐解いていきましょう。
「豊臣秀吉」(とよとみひでよし)は、1537年(天文6年)2月6日~1598年(慶長3年)8月18日に生きた戦国武将です。豊臣秀吉は、「人たらし」(人心掌握)に長けていたと言われ、もとは貧しい農民の出でしたが、織田信長に家臣として出世を重ね、関白、太閤にまで上りつめ、天下人となりました。今でも豊臣秀吉は「太閤はん」と親しみをもって呼ばれています。豊臣秀吉の出世には、様々な城が関わっていました。城主としてはもちろんですが、城攻めの名人としても多くの城に関わっています。美濃攻略に際に、豊臣秀吉が一夜にして城を建てたという「墨俣一夜城」の逸話は有名です。他にも、太閤ヶ平(たいこうがなる)と呼ばれた陣を敷き、兵糧攻めで勝利した「鳥取城の戦い」や、豊臣秀吉の三大水攻めの1つ「備中高松城の水攻め」等、戦わずして勝つという、豊臣秀吉のしたたかさが見える城攻めのエピソードが多数あります。また、「太閤はんの城」とも呼ばれる大阪城は、豊臣秀吉の居城でした。豊臣秀吉時代の大阪城は、金箔瓦が使われるなど豪華絢爛な城であったと言われていますが、大坂夏の陣で焼失してしまい、その姿をうかがい知ることができるのは、わずかな資料だけとなっています。たった1代で農民から天下人まで駆け上った豊臣秀吉は、現代人にも多くの影響を与えています。数多くの戦を勝ち抜き身を立てた豊臣秀吉の生涯とゆかりのある城についてご紹介します。