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日本の城と戦国武将
伊達政宗

日本の城と戦国武将

伊達政宗と城

「伊達政宗」(だてまさむね)は1567年(永禄10年)8月3日~1636年(寛永13年)5月24日までを生きた戦国武将です。

伊達政宗

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「伊達政宗」(だてまさむね)は1567年(永禄10年)8月3日~1636年(寛永13年)5月24日までを生きた戦国武将です。
幼少時に病により右目を失明するも、それをものともせず他国を攻めて、領土を広げていきました。天下統一を目指して突き進む伊達政宗は、いつしか「独眼竜」と呼ばれるようになったのです。
そんな伊達政宗の生涯と、ゆかりのある城についてご紹介します。

伊達政宗の生涯

出羽国に生まれ若くして家督を継いだ伊達政宗
出羽国に生まれ若くして
家督を継いだ伊達政宗

伊達政宗は、出羽国の大名「伊達輝宗」(だててるむね)の嫡男として生まれました。5歳の頃に天然痘(発疹が出る重病)にかかると、命こそ助かるものの右目を失明してしまいます。それでも、伊達政宗は大名の跡取りとなるべく武芸や学問に精進し、立派に成長していきました。15歳になると東北の豪族である相馬家との戦で、初陣ながらも勇敢に戦って、伊達家の勝利に貢献したのです。
18歳となり家督を継いだ伊達政宗は、当主となった半年後には領地を広げるべく、敵国に攻めこみました。「天下に名を轟かせたい」と血気盛んだったのでしょう。

1589年(天正17年)、「摺上原の戦い」(すりあげはらのたたかい)で伊達政宗は東北の覇権を争う蘆名(あしな)家を破ります。この勝利により広大な領地を手に入れた伊達政宗ですが、その野望はもっと高いところにありました。天下統一こそが野望の終着点だったのです。
しかし、伊達政宗の天下統一に立ちはだかったのが、当時、天下に最も近い場所にいた豊臣秀吉でした。豊臣秀吉は天下統一の締めくくりとも言える「小田原攻め」の際に、日本各地の大名に応援を要請し、その要請は伊達政宗の元にも届いたのです。
小田原城に籠城する北条家の次に伊達家が攻められることになり兼ねません。伊達政宗は小田原攻めに参戦することを決心しますが、ちょうどその頃、伊達家内で起きた内紛を収めるのに時間を取られてしまい、小田原攻めに遅参してしまいました。豊臣秀吉に無礼を働いたことにより、首を落とされ兼ねない窮地に立たされたのです。
そこで伊達政宗は、豊臣秀吉の前に死装束である白装束を着て現れました。その覚悟に豊臣秀吉が感服したことにより、なんとか許しを得ることに成功します。しかし、伊達政宗は領地の一部を奪われて、家臣になることも強要されたのです。

伊達政宗騎馬像
伊達政宗騎馬像

1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が死去すると、空いた天下の座をめぐって大きな戦が起きました。天下を狙う江戸の大名・徳川家康と、豊臣家の天下を守ろうとする武将・石田三成が争った「関ヶ原の戦い」です。
天下分け目の合戦と呼ばれるこの戦では、全国の武将が徳川家康の率いる東軍か石田三成の率いる西軍に分かれて、覇を競いました。
東軍に味方した伊達政宗は、東北の地で西軍武将である「直江兼継」(なおえかねつぐ)と激突。この戦いは「長谷堂城の戦い」(はせどうじょうのたたかい)と呼ばれています。熾烈を極める戦となったのですが、本戦である関ヶ原の戦で西軍が敗戦したため、直江兼継は撤退したのです。
東軍の勝利に貢献した伊達政宗ですが、十分に加増(領地や給金などが増えること)することはできませんでした。というのも、戦乱に乗じて一揆を扇動して領土拡大を謀ったことを、徳川家康に見破られてしまったからです。また、徳川家康が天下人となったことにより、伊達政宗の天下統一の夢は破れることになります。

徳川家康が江戸幕府を開くと、伊達政宗は仙台藩の藩主となり、仙台城を居城としました。この頃、伊達政宗にとって「自分の治める仙台藩の平和を守ること」が新たな夢となっていたのです。
1615年(慶長20年)、徳川家康が豊臣家を滅ぼすために戦を起こしました。戦国時代を締めくくる戦となる「大阪の陣」です。
徳川家に加勢した伊達政宗は、豊臣家の大将格である「真田幸村」と相対します。戦国時代を代表する武将とも言える両雄は、激闘を繰り広げながらも決着が付くことはありませんでした。
戦の最中、豊臣家の居城である大阪城に火が放たれると、豊臣家の当主「豊臣秀頼」(とよとみひでより)は敗北を悟り、自害します。こうして徳川家が豊臣家を滅ぼすと、戦国時代は幕を閉じたのです。

それからの伊達政宗は徳川家の家臣、及び仙台藩主として精力的な日々を送りました。そして、1636年(寛永13年)に70歳で永眠。
若き日に夢見た天下こそ掴めなかったものの、伊達政宗は幕末まで存続する仙台藩の礎を築くという偉業をやり遂げました。その生涯は独眼竜の異名に恥じないものと言えるでしょう。

「伊達男」という言葉の由来は伊達政宗にあり

「粋な男」伊達政宗
「粋な男」伊達政宗

「伊達男」という言葉はご存知ですか。これは「人目を引くほどの粋な身なりをした男」という意味です。伊達男という言葉の由来になったとされる、伊達政宗のある逸話をご紹介します。

1592年(天正20年)、天下人である豊臣秀吉は、明(現在の中国)を手中にするべく朝鮮出兵を計画していました。そして、遠征軍を編成するために日本各地の武将を京に呼び出します。京には当時、豊臣家の家臣であった伊達政宗の姿もありました。
京で編成された遠征軍は、朝鮮出兵の前線基地である肥前の「名護屋城」(なごやじょう)を目指すことになります。京を出る一番隊は前田利家、二番隊は徳川家康、三番隊が伊達政宗です。
遠征軍を見送る京の人々の注目を一際集めたのが、伊達政宗の率いる三番隊でした。豪勢な甲冑を身に付けた伊達政宗をはじめとした伊達家の一団。彼らの乗る馬も、熊や虎の毛皮などでつくられた派手な馬鎧を着ています。
さらに、身分の低い足軽でさえも、立派な黒の甲冑を纏っていたのです。あまりにも華やかな軍勢に観衆は感嘆しました。それ以来、京では「粋な格好をした男」のことを伊達政宗の姓にちなんで、伊達男と呼ぶようになったのです。

今でも伊達政宗には、粋な男というイメージが定着しています。その伊達男ぶりは歴女をはじめとしたファンを魅了してやみません。

徳川家に忠義を尽くした伊達政宗

晩年は徳川家を支えた
晩年は徳川家を支えた

晩年の伊達政宗は、徳川家の重臣となって将軍を補佐しました。なぜ、若い頃に抱いた天下統一の夢を奪った徳川家に、忠義を尽くしたのでしょうか。
その理由として考えられるのが、初代将軍である徳川家康の遺言です。死の間際にあった徳川家康は伊達政宗に、「これからの徳川家を頼む」という言葉を残しています。このように徳川家の将来を託されたので、伊達政宗は徳川家康以降の将軍に従ったのでしょう。

特に、伊達政宗が重臣としてかかわったのが三代目将軍・徳川家光です。
1623年(元和9年)、徳川家光は将軍に就任する際、諸大名たちの前で「余は生まれながらの将軍である」と宣言しました。
あまりにも高圧的な態度に諸大名たちの反感を買ってもおかしくなかったのですが、伊達政宗は「誰も異論は持ちますまい」と言うと真っ先に平伏したのです。
戦国武将として名を馳せた伊達政宗が平伏したことにより、他の大名もそれに追従せざるを得ませんでした。この逸話から、伊達政宗の徳川家光への忠誠心が伝わってきます。
一方、徳川家光も伊達政宗のことを「伊達の親父殿」と呼ぶくらいに慕って、特別な扱いをしました。例えば、伊達政宗に関しては謁見の際、脇差帯刀を許しています。

徳川家を支えて、将軍からも愛された伊達政宗。主君に忠義を尽くすという、武士としての誇りも持ち合わせていたのです。

伊達政宗に関連する城

奥羽で生まれて、仙台藩の初代藩主となった東北の戦国武将である伊達政宗。当然ながら、東北には伊達政宗に関連する城がいくつも残っています。生誕地である米沢城、仙台藩主時代に居城とした仙台城、晩年を過ごした若林城などです。ここでは、伊達政宗の生涯を語るうえではずせない4つの城をご紹介します。なお、4つの城は伊達政宗とかかわった年代が古い順に並べました。

米沢城(よねざわじょう):山形県米沢市

伊達政宗生誕の城、米沢城
伊達政宗生誕の城、米沢城

1238年(暦仁元年)に鎌倉時代の武将「長井時広」(ながいときひろ)が築城しました。その約150年後に伊達家の城となり、伊達政宗はこの城で生まれています。伊達政宗はここを本拠地に勢力を伸ばし、京に名を馳せるまでになったのです。
豊臣秀吉の家臣となった伊達政宗が陸奥に転封(所領を別の場所に移されること)されると、「上杉景勝」(うえすぎかげかつ)の重臣である「直江兼続」(なおえかねつぐ)が米沢城の新しい城主になりました。
そして、直江兼続は城の改修に着手します。城の南西には、主君である上杉景勝の義父、上杉謙信が祀られた社殿を築きました。ここには越後から上杉謙信の亡骸を移し、安置したのです。

現在、城跡は公園となっており、その中心には上杉謙信を祀る神社があります。伊達政宗の生誕地でありながら上杉謙信を祀る地でもある米沢城跡は、歴史ファンなら一度は訪れたい場所と言えるでしょう。

黒川城(くろかわじょう):福島県会津若松市

1384年(至徳元年)、会津の領主である「蘆名直盛」(あしななおもり)が築城。1553年(天文22年)には、その子孫である「蘆名盛氏」(あしなもりうじ)が黒川城を居城とし、蘆名家の全盛期を築き上げました。
しかし、蘆名家の繁栄は内紛の勃発をきっかけにして終焉を迎えます。東北で領土を広げていた伊達政宗は、蘆名家のなかで内紛が起きていると見るや攻めこんだのです。そして、「摺上原の戦い」で蘆名家を倒すと、黒川城を奪って居城としました。

1868年(慶応4年)、戊辰戦争が始まると、黒川城には旧幕府軍が立てこもり、新政府軍の猛攻に耐えました。約1ヵ月の戦の末、黒川城は攻め落とされてしまいます。
そして、1874年(明治7年)には廃城となりました。

1965年(昭和40年)に、天守閣の復元工事を実施しています。現在では「鶴ヶ城」と呼ばれて、福島県で有名な観光スポットです。

仙台城(せんだいじょう):宮城県仙台市

青葉山の頂上に築城された仙台城跡
青葉山の頂上に築城された
仙台城跡

1601年(慶長6年)、伊達政宗が奥羽に築いたのが仙台城です。青葉山の頂上が築城地であったことから、青葉城とも呼ばれています。山頂に本丸、山麓に屋敷を置いた旧式の中世城郭です。その大手門は、菊紋や桐紋で装飾された桃山文化を代表する建築物だったのですが、空襲により焼失してしまいました。

仙台城には、攻め落とされないための工夫がいくつも施されています。例えば、城へと続く道は複雑に曲がりくねって、敵の侵入を簡単には許しません。このような軍事的な機能が仙台城に備わっているのは、伊達政宗が天下を奪うべく徳川家と戦うことを想定していたからだと言われています。

現在、仙台城の本丸跡には伊達政宗の銅像が立っており、歴史好きの間では有名な撮影スポットです。

若林城(わかばやしじょう):宮城県仙台市

60歳を過ぎた伊達政宗が、仙台城付近に築きました。若林城は、巨大な堀と高さ約6mの土塁に守られた堅牢な城です。
しかし仙台藩は、江戸幕府が発布した一国一城令で城を複数持つことが禁じられていたため、この城を隠居した伊達政宗が住むための屋敷として位置付けました。
すでに仙台城という居城を持つ仙台藩は、城ではなく屋敷を築くという名目で一国一城令に背くことなく若林城を築いたのです。

伊達正宗は亡くなるまでの約8年間、若林城で執務を行ないました。伊達政宗が亡くなってから3年後、その遺言にしたがって城の堀だけを残し、それ以外は取り壊しになっています。
1879年(明治12年)には、若林城跡に刑務所が造られました。そして現在、刑務所の北側には「若林城跡」の石柱が残されています。

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