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日本の城と戦国武将
徳川家康

日本の城と戦国武将

徳川家康と城

徳川家康は1542年(天文11年)12月26日~1616年(元和2年)4月17日までを生きた戦国武将です。

徳川家康

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徳川家康は1542年(天文11年)12月26日~1616年(元和2年)4月17日までを生きた戦国武将です。織田信長、豊臣秀吉とともに戦国三大武将に数えられた徳川家康は、1603年(慶長8年)に江戸幕府を開き、約260年もの間、泰平の世をもたらしました。戦国時代に終止符を打ち、平和な新時代を築いた徳川家康の生涯と彼にかかわった城についてご紹介します。

徳川家康の生涯

幼少期、今川家に庇護してもらうため人質となった家康
幼少期、今川家に庇護して
もらうため人質となった家康

1542年(天文11年)、徳川家康は三河国領主「松平広忠」(まつだいらひろただ)の嫡男として生まれました。幼名は「竹千代」(たけちよ)です。当時、弱小大名家だった松平家は、隣国である遠江国の領主・今川家に庇護(ひご)してもらうため、幼い竹千代を人質として差し出します。
14歳となり元服した竹千代は「松平元康」(まつだいらもとやす)と名を変えて、今川家に武将として仕えていました。1560年(永禄3年)には、今川家と尾張国の領主・織田家が争った「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)に出陣。松平元康が砦を落とす活躍を見せるものの、今川家は織田家の奇襲を受けて敗れてしまいました。この敗戦で今川家の力が落ちたのを機に松平元康は独立し、故郷である三河国に帰還して岡崎城の城主となります。そして、今川家を倒した織田信長と同盟を結ぶと、名前を徳川家康に改めたのです。

1570年(永禄13年)、徳川家康の前に巨大な敵があらわれました。当時、最強と呼ばれていた戦国武将「武田信玄」です。徳川家康は武田信玄との戦に備えて、本拠を「浜松城」(はままつじょう)へと移します。
1572年(元亀3年)、徳川家康と武田信玄による「三方ヶ原の戦い」(みかたがはらのたたかい)が勃発。この戦に徳川家康は大敗したのですが、戦後に武田信玄が病死したことにより、領土を奪われずに済んだのは幸運だったと言えるでしょう。
1575年(天正3年)、今度は武田信玄の跡継ぎである「武田勝頼」(たけだかつより)と戦うことになりました。織田信長の協力を得た徳川家康と武田勝頼が争ったのが「長篠の戦い」(ながしののたたかい)です。この戦は織田家の鉄砲隊が大活躍して、徳川・織田連合軍の勝利となります。

1582年(天正10年)、天下目前まで迫っていた織田信長が、京の本能寺にて家臣から謀反を起こされて自害するという事件が起きました。事件の首謀者である明智光秀を討ち取って、織田信長の天下統一を継ぐ者として名乗りをあげたのが羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)です。
天下を狙う徳川家康は、羽柴秀吉と「小牧・長久手の戦い」(こまきながくてのたたかい)で対峙します。この戦に徳川家康は勝ちながらも、知恵の働く羽柴秀吉に丸めこまれて家臣になってしまったのです。この頃、徳川家康は居城を浜松城から「駿府城」(すんぷじょう)に変えています。
1590年(天正18年)、小田原征伐により関東を平定した豊臣秀吉は全国統一を果たし、天下人となりました。徳川家康はその豊臣秀吉から関東への移封(いほう:所領を別の場所に移すこと)を命じられて、江戸城へと本拠を移します。
1598年(慶長3年)、豊臣秀吉が死去し、ついに徳川家康に天下人へのチャンスが到来しました。天下獲りに向けて豊臣家の家臣たちを仲間に引き入れる徳川家康に、対立したのが豊臣家の重臣「石田三成」(いしだみつなり)です。ふたりの争いは飛び火して、戦国時代最大級の戦に発展。全国の武将が徳川家康率いる東軍と三成率いる西軍に分かれて争った「関ヶ原の戦い」の幕が切って落とされたのです。
開戦直後は西軍が優勢でしたが、西軍武将「小早川秀秋」(こばやかわひであき)や「吉川広家」(きっかわひろいえ)らの寝返りによって、東軍が盛り返して勝利をつかみました。この勝利により大きな権力を得た徳川家康は1603年(慶長8年)に征夷大将軍となると、念願の天下人となったのです。

天下を我が物とした徳川家康ですが、ただひとつだけ懸念材料がありました。それは大阪城を本拠とする豊臣秀頼の存在です。豊臣家を慕う者たちが豊臣秀吉の後継者である豊臣秀頼のもとに集まって、徳川家打倒を企てるかもしれない、このように徳川家康は考えたのでしょう。
徳川家康は不安の芽を摘むために豊臣秀頼に対して戦を仕掛けました。1614年(慶長19年)の冬と1615年(元和元年)の夏に行なわれたこの戦が、世に言う「大阪の陣」(おおさかのじん)です。
「大阪冬の陣」では豊臣家が徳川家の猛攻を跳ね返したのですが、「大阪夏の陣」では徳川家が豊臣家の居城・大阪城を陥落させます。炎上する大阪城の中で自害する豊臣秀頼。徳川家康が豊臣家を滅ぼしたことにより、徳川家は磐石となりました。
その翌年の1616年(元和2年)、徳川家康は「もうやり残したことはない」とでも言うように75歳で逝去。徳川家康没後も、その子孫たちが歴史の表舞台に立ち、江戸幕府は約260年もの間、存続したのでした。

江戸の水運を発展させた徳川家康

江戸の町(イメージ)
江戸の町(イメージ)

1590年(天正18年)、天下人である豊臣秀吉から関東への移封を命じられた徳川家康。関東で本拠地に選んだのは江戸でした。当時の江戸は低湿地帯が広がる未開の地だったため、大名が住むには不向きだったと言えます。また、関東には古都・鎌倉があったので、この地を本拠地にする選択肢もあったでしょう。
なぜ徳川家康は江戸を本拠地に選んだのか、それは江戸の地理に目を付けたからです。江戸は海に面していたうえに関東地区に流れる川の終着点となっていたため、水脈に恵まれていました。この水脈を利用した港や航路をつくれば江戸は必ず発展すると、徳川家康は考えたわけです。

江戸城への水路を築き資材などを運んだ
江戸城への水路を
築き資材などを運んだ

江戸の開発計画に着手した徳川家康は、まず江戸湾から江戸城への水路を建造。そして、その水路から建築資材や米を運んで、江戸城の改築工事に乗り出します。
1603年(慶長8年)、徳川家康は天下統一を果たし、江戸に幕府を開きました。諸大名に土木工事をさせる「天下普請」(てんかぶしん)という制度をつくると、江戸の開発はより活発になります。
江戸の町を大きく発展させたのが「掘割運河」という水路です。町の内部に張り巡らされたこの水路は、舟での荷物の運搬を円滑にします。
まるで町全体が港になったかのように水運が整備された江戸の町。ここまで水運が発達した都市というのは、世界の歴史のなかでも稀だと言われています。

時が流れて、江戸は東京へと名称を変えました。現在の東京は陸上交通が発達したため、かつて水運が発達していた江戸の面影を残していません。しかしそれでも、かつてこの地を見出して人を集めた徳川家康こそが、東京の基盤を築いたと言えるでしょう。

徳川家康に関連する城

戦国時代に武田信玄や豊臣秀吉、石田三成などの武将と戦って、天下統一を果たした徳川家康。戦では当然ながら城を拠点にして、その防衛力を活かしました。ここでは、徳川家康とのエピソードや興味深い歴史を持つ、岡崎城、浜松城、駿府城、元離宮二条城、江戸城をご紹介します。これらの城が持つ徳川家康とのエピソードや歴史を知れば、きっと訪れてみたくなることでしょう。なお、5つの城は徳川家康とかかわった年代が古い順に並べました。

岡崎城(おかざきじょう):愛知県岡崎市

徳川家康が生まれた岡崎城
徳川家康が生まれた岡崎城

岡崎城は徳川家康の天下人としての運命が幕を開けた場所です。1455年(康正元年)、土地の豪族である西郷家によって築城されました。1531年(享禄4年)、徳川家康の祖父である「松平清康」(まつだいらきよやす)が岡崎城を奪い、松平家の居城とします。そして1542年(天分11年)、この城で徳川家康が生まれたのです。
「桶狭間の戦い」以降、徳川家康は岡崎城を本拠にしますが、1570年(元亀元年)に嫡男の「松平信康」(まつだいらのぶやす)にこの城を譲りました。
徳川家康の没後は、徳川家と主従関係にある大名たちが岡崎城の城主を務めています。大名たちは徳川家康とかかわりの深い岡崎城を守ることに、名誉を感じていたことでしょう。

明治時代になると城郭の大部分は取り壊されるも、1959年(昭和34年)に天守閣が復元されました。現在では天守閣のまわりに岡崎公園が整備されており、徳川家康の生誕地ということで多くの観光客が訪れています。

浜松城(はままつじょう):静岡県浜松市

浜松城は武田信玄との戦に備えて築かれた
浜松城は武田信玄との戦に
備えて築かれた

徳川家康が武田信玄との決戦に備えて築いたのが浜松城です。武田信玄が攻めこんできたときに備えて、見晴らしのいい遠江の三方ヶ原を築城地にしました。本丸を二の丸、二の丸を三の丸が囲む「梯郭式」(ていかくしき)という築城方法を採用したことにより、浜松城は堅牢な要塞となります。
1572年(元亀3年)、武田信玄が遠江に攻めこんできて「三方ヶ原の戦い」が勃発。この戦で浜松城にまつわるこんな逸話が生まれています。
徳川家康は城を攻められることを想定して、浜松城の守りを固めていました。ところが、武田軍はこの城を無視し通り過ぎていきます。徳川家康は「見くびられた!」と激怒し、武田軍を後方から強襲するべく城を出たのですが、それは武田信玄の思惑通りだったのです。
三方ヶ原で待ち構えていた武田軍は徳川軍を返り討ちにしました。大敗した徳川家康は命からがら浜松城に退却するものの、武田軍が追いかけてきているので絶体絶命の状況です。そこで、徳川家康は信じられない奇策を打ちます。なんと、城門を開け放つとそこに松明を灯したのです。城に入ってこいと言わんばかりなので、罠を恐れて城に入ることができない武田軍。そして、武田軍が退却し、徳川家康は窮地をなんとか脱したのです。この徳川家康の奇策は「空城の計」と呼ばれています。
この逸話の真偽のほどは定かではありませんが、はったりとも言える奇策により窮地を乗り切ってしまうとは実に痛快です。浜松城を訪れる機会があったら、一世一代のはったりを仕掛けている徳川家康を想像してみると面白いでしょう。

駿府城(すんぷじょう):静岡県静岡市

今川家の人質だった幼少期、徳川家康は駿府で過ごしました。今川家が没落したことにより独立を果たすと、駿府を攻め落として駿府城を築きます。しかし、天下人である豊臣秀吉により関東に移封を命じられたことにより、江戸へと本拠を移すことになったのです。
その後、豊臣秀吉が死去し、天下を獲った徳川家康は江戸に幕府を築きました。そして晩年を迎えると、跡継ぎである「徳川秀忠」(とくがわひでただ)に将軍職を譲り、駿府に帰っていったのです。
それから徳川家康は駿府城の改築に取り組みました。1608年(慶長13年)には本丸御殿、1610年(慶長15年)には天守が完成。駿府城は大御所である徳川家康が住むのにふさわしい立派な城となったのです。

徳川家康は75歳で死去するまで駿府城で暮らしました。徳川家康にとって、幼少期と晩年期を過ごした駿府にあるこの城は、思い出の詰まった場所だったことでしょう。

元離宮二条城(もとりきゅうにじょうじょう):京都府京都市

大政奉還が行われた二条城
大政奉還が行われた二条城

日本の歴史のなかで二条城と呼ばれる城はいくつもありました。足利家、織田家、豊臣家、徳川家という時の権力者たちが、築いた城に二条城と名付けたのです。しかし、現存しているのは1603年(慶長8年)に徳川家康が築いた元離宮二条城だけとなっています。

元離宮二条城は徳川家の歴史に深くかかわりました。1611年(慶長16年)には「二条城会見」、1867年(慶応3年)には「大政奉還」がこの城で行なわれています。
二条城会見とは、天下人となった徳川家康と豊臣秀頼の間で開かれた会見のこと。
大政奉還とは、15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)が、天皇に政権を返上した大事件です。大政奉還により江戸幕府は幕を降ろしたので、元離宮二条城は徳川家の最後に立ち会ったと言えるでしょう。

現在、元離宮二条城は国宝重要文化財、世界遺産などに指定されています。足を運べば、かつての徳川家の栄華を感じることができるでしょう。

江戸城(えどじょう):東京都千代田区

江戸幕府が存続した約260年の間、徳川家の居城として威厳を示したのが江戸城です。
1457年(長録元年)、築城名人と呼ばれた武将「太田道灌」(おおたどうかん)により築城されました。
1590年(天正18年)に徳川家康が江戸に本拠を移した際、江戸城は入り口に数枚の板が並べられているだけのみすぼらしい城に成り果てていたのです。
しかし、徳川家康は江戸の町を盛り立てるために江戸城を改築していきました。その結果、江戸城は国内屈指の規模の城となります。その敷地面積は約230 haで、大阪城の約110ha、駿府城の約180haと比較すると、いかに広大なのかが分かるでしょう。
参勤交代で江戸を訪れた諸大名は、江戸城のあまりの広さを目にして、徳川家の権力の大きさを思い知ったと言われています。

江戸幕府が滅んだ明治元年、江戸城は東京城と改称されました。そして、現在は天皇皇后陛下がお住まいになっている御所や宮殿などが置かれており、皇居と呼ばれています。時代が変わっても、かつて江戸城と呼ばれた城は昔と変わらない威厳を漂わせているのです。

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