日本の城と戦国武将
織田信長
織田信長と城
「織田信長」(おだのぶなが)は1534年(天文3年)5月12日~1582年(天正10年)6月2日までを生きた戦国武将です。



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「織田信長」(おだのぶなが)は1534年(天文3年)5月12日~1582年(天正10年)6月2日までを生きた戦国武将です。織田信長が「天下布武」をかかげ天下統一を目指した武将であることはよく知られていますが、実は「日本の城」の概念を大きく変えた革命児でもありました。織田信長は、勝幡城で生まれ、古渡城で元服します。「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)で今川義元(いまがわよしもと)を破った織田信長は、次に美濃を攻略するため小牧山城を居城としました。織田信長が、この山城である小牧山城に石垣を造ったことが最初の革命となります。織田信長は、小牧山の麓から山頂に向けた一直線の大手道を設け、その中腹に家臣の家を構えました。そして最も高い山頂部分に「石垣を配した自身の館」を構えることで、織田信長の力を誇示。このように、お城を権力の象徴に変えたのが織田信長と言われています。その後、織田信長は、岐阜城で天下布武を打ち出し、破竹の勢いで領土を広げ安土城を築城しました。この安土城こそ、私たちが「日本の城」として一般的に思い浮かぶ「天守」が初めて建造された城になります。織田信長は、権力の象徴として初めて天守を作った革命家なのです。しかし、天下まであと一歩のところまで迫るものの、家臣に謀反を起こされて無念の死を遂げた織田信長。その波乱万丈な生涯とゆかりのある城についてご紹介します。