日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第9問 現在の山梨県、甲斐国に築城された甲府城の城主として当てはまらないのは、次のうち誰?

正解 A.武田信玄

<解説>

正解はAの武田信玄(たけだ しんげん)です。
甲斐国と言えばこの武田信玄をはじめとする武田氏が有名ですが、甲府城は武田氏の滅亡後、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)により築城されたため、武田信玄は城主にはなっていません。
なお、武田氏の本拠地は、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)と呼ばれる居館で、いわゆる高い石垣や天守を抱いた物ではなかったとされています。

甲斐国は、戦乱を極めた戦国末期から江戸時代にかけて、織田(おだ)、豊臣(とよとみ)、徳川(とくがわ)と、次々と支配者が変わっていきました。
甲府城は、豊臣秀吉が甲斐国を支配したときに築城を始め、浅野長政(あさの ながまさ)・幸長(ゆきなが)親子が城主になったころに完成したとされています。
その後、徳川家康(とくがわ いえやす)が関ヶ原の戦いで勝利し、甲府城は徳川の支配下に置かれました。

現在の甲府城は、城跡の一部が舞鶴城公園、歴史公園として開放されながらも、発掘調査や復元、整備が続いています。この甲府城と、先に述べた武田氏の居館、躑躅ヶ崎館は、日本百名城に選ばれています。

甲府城
甲府城稲荷櫓(こうふじょういなりやぐら)

江戸幕府の防衛最前線としての拠点だった甲府城

かつては18ヘクタール、東京ドーム約4個分にも相当する城郭を持っていた甲府城。
現在でも綺麗に残された築城当時の石垣が見どころです。
また、甲府城の異名である「舞鶴城(まいづるじょう)」にちなんで、舞鶴城公園には鶴の銅像も建っています。

そんな甲府城は、徳川氏が政権を担うようになってからは、江戸を守るための防衛最前線の拠点に定められ、徳川家や譜代大名など地位の高い人物が次々と城主になりました。

通常は、徳川御三家(紀州・尾張・水戸)と、徳川御三卿(田安・一橋・清水)から将軍が輩出されますが、6代徳川将軍徳川家宣(とくがわ いえのぶ)は、甲府藩主を経て将軍に就任しました。
このようなケースは歴代でも家宣と5代将軍徳川綱吉(とくがわ つなよし)の2人しかいません。
このように、甲府城は江戸幕府とつながりが深く、重要視されていた城だったのです。

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