江戸時代を通して、仙台城は火災や地震に何度も遭遇し、そのたびに改修を行なってきました。改修では、崩れてしまった石垣など、そのつど被害の状況や時代の要請に応えるように、屋敷の位置や構成も変更されていったようです。実際に、異なる時期に描かれた絵図などを確認すると、いくつかの場所で位置や構成が異なっています。
典型的な例のひとつとして、本丸の南東(旧暦の方位では巽)方向に位置する巽櫓(たつみやぐら)があります。櫓は監視台、弓や鉄砲で敵を狙う攻撃拠点、倉などの機能を備えた設備のことです。この巽櫓は、築城のころの最も古い絵図にしか描かれておらず、地震で崩れた後、何らかの理由で再建されなかった建築物であると考えられています。