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夏の日本の城情報

いつもとは違う雰囲気が楽しめる!夏の夜景観賞におすすめの日本の城



歴史を学べるだけでなく、最近はレジャー施設としても注目が集まっている日本の城。特に夏は開放的な気分の中で夜景観賞が楽しめるため、多くの人が訪れています。そこで今回は、夏の夜景観賞にぴったりな日本の城をご紹介します。

「岐阜城」で360度の大パノラマを満喫

「岐阜城」で360度の大パノラマを満喫

デートスポットとしても人気を集めており、日本夜景遺産にも認定されている岐阜城。岐阜市内の中心部から車で約15分の距離に位置する岐阜公園内にあります。公園内には所要時間約3分の金華山ロープウェーが通っており、夜間はロープウェーで山頂まで行くのが一般的です。金華山ロープウェー山頂駅から、約8分歩くとライトアップされた岐阜城がお出迎え。城自体はそこまで大きくないものの、その昔、天下統一を目指した織田信長が、足掛かりとして利用したことでも知られ、ロマンティックな雰囲気と共に、荘厳な趣を感じることができます。

戦国時代を語る上で欠かせない岐阜城を見るだけでも価値がありますが、さらに標高329mにそびえ立つ天守閣にある望楼の間から、360度の大パノラマが望めるのが、訪れる人の心を掴むポイントです。晴れていれば名古屋の中心部まで見渡すことができます。光で埋め尽くされた平野の中に注ぐ、揖斐川や長良川の自然の流れは眺めているだけで時間を忘れさせてくれるでしょう。また、周辺には展望台が設置されているため、落ち着いた雰囲気で夜景を楽しめます。夏の間(7月中旬から8月31日まで)は、岐阜城は、22時、ロープウェーも22時30分まで営業。日暮れ時の夜景と完全に日が暮れてからの夜景は一味違った楽しみ方ができるため、時間を変えて何度も訪れてみるのもおすすめです。

幻想的な夜景の世界に包まれる「岡山城」

中国地方を代表する岡山城は、日本三名園のひとつにも数えられている後楽園と共に、夏の期間限定で幻想的な夜景を楽しむことができます。後楽園は「幻想庭園」、岡山城は「烏城灯源郷」と題し、様々なイベントが開催され、好評です。「幻想庭園」では、目の前にそびえ立つ岡山城の眺望を味わうのはもちろん、期間中だけ開催されるビアガーデンや、特設ステージで開催される音楽イベントなどを楽しんで、印象深い夜を過ごすことができるでしょう。また、岡山城の天守閣を中心に開催されている「烏城灯源郷」でも夏ならではのイベントを開催。毎日変わる巨大キャンドルアートが施されていたり、暑い夏の涼を演出してくれる竹を使ったプロムナードが出現したりと、趣向を凝らした演出で、訪れる人を楽しませてくれます。

岡山城は、実際に足を運んで幻想的な雰囲気を感じるのはもちろんですが、街中に位置していることから、周辺のホテルから夜景を眺めるのもおすすめです。岡山城から最も近い場所に位置するビジネスホテル「エクセル岡山」では、窓から天守、旭川、後楽園を臨め、夜の街に浮かび上がる岡山城の幻想的な美しさを楽しむことができます。

花火のシーズンは必見!現代の城「熱海城」

「東洋のナポリ」という異名を持ち、熱海の海を一望できる熱海城。錦ヶ浦山頂にそびえ立つ、観光施設として近代に建てられた、一風変わったお城です。43mの天守閣から360度のパノラマを臨めます。城内にはジェット足湯やマッサージチェアが設置され、江戸の衣装のコスプレ体験など、他の城にはないバラエティ感たっぷりの設備などが魅力的。

なお、熱海城の閉館時間は17時のため、天守閣から夜景を楽しむことはできません。時間を気にせず熱海の夜景を堪能したい人は、熱海城の駐車場の展望スペースから夜景を眺めるのがおすすめ。視界を遮ることなく天守閣から臨むのに負けない程の景観を誇ります。また、夏に開催される熱海海上花火大会の日には、熱海城は21時まで営業を延長するため、天守閣から夜空を彩る花火大会と夜景を同時に楽しむことができます。観光雑誌でもたびたび紹介され、夏のお出かけには見逃せないスポットです。

熱海の夜景は、規模はそれ程大きくはありませんが、斜面に沿って立体的な景観となっているため、変化に富んで趣があるのが特徴。一度は見ておきたい夜景です。

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日本の伝統的な美のひとつとも言えるお城には、四季折々の魅力が満ちています。夏には、特に夜に楽しめるイベントが多く開かれ、名城を彩る光が印象的な催しを各地で楽しむことができるのです。

「小田原ちょうちん」の灯りが美しい夏の「小田原城」

「小田原ちょうちん」の灯りが美しい夏の「小田原城」

戦国時代に北条氏の拠点として城下町が整備され、徳川家康が江戸を本拠地とするまでの長い間、関東地方の中心地としての役割を果たしてきたのが、小田原城(神奈川県小田原市)です。最盛期には背後の八幡山から相模湾にかけての広大な土地を惣構(そうがまえ)で囲んだ巨大な城で、難攻不落の城として広く知られていました。本丸や二の丸、そしてその周りの曲輪が残されており、1960年(昭和35年)に復興された天守閣は小田原市のシンボルに。東海道新幹線の小田原駅の近くにあり、新幹線の車窓からも眺めることのできる天守閣であるため、全国的にも知られている城でもあります。

そして、小田原市の名産品として欠かせないのが、使い勝手の良さや安価であったなどの理由から、江戸時代に大流行した「小田原ちょうちん」。このちょうちんを用いて、夏の夜に「小田原城」のお堀で開催される「小田原ちょうちん夏まつり」は、城とちょうちんという小田原の2大シンボルによるコラボレーションだと言えます。

毎年7月の第4土曜日・日曜日に開催される「小田原ちょうちん夏まつり」は、小田原城址公園の「二の丸広場」とその周辺で行なわれます。ちょうちんを用いてチームでダンスをするコンクールや、自治会の神輿パレードなどの様々なイベントが催されますが、必見なのは地元の小学生たちが作ったちょうちんが並べられるお城のお堀。日が落ちた夜のお堀を、明かりが灯された約2,000個のちょうちんが照らし、歴史ある名城をさらに幽玄な雰囲気に包みます。夏の夜の「小田原城」は、温かな明かりでよりロマンチックな城へと変化するのです。

「松本城」で伝統芸能を観賞「薪能」

現存する黒塗りの天守が誇らしげにそびえ、全国から観光客が押し寄せる「松本城(長野県松本市)」は、国宝にも指定されており、日本を代表する名城のひとつに数えられます。この「松本城」の本丸庭園で、毎年8月に行なわれるのが「薪能(たきぎのう)」です。

「薪能」とは夏の夜に、周囲にかがり火を焚いた能舞台で演じられる能楽で、厳かで神聖な雰囲気の中で観賞する伝統芸能は、また格別。普段あまり目にすることがない能楽を見られるチャンスでもあり、全国の神社やお寺、またはお城などの庭園で広く開催されています。日本古来の芸能であるため、それにふさわしい舞台が必要であることも、これらの開催地が選ばれている理由のひとつです。

「松本城」で「薪能」が執り行なわれるのも、そのシチュエーションの素晴らしさが根拠となっているのは間違いありません。本丸庭園の背後には、五重六階の大天守と乾小天守(いぬいこてんしゅ)、辰巳附櫓(たつみつけやぐら)、月見櫓(つきみやぐら)がデンと構え、夕暮れ前にははるか北アルプスの峰々が眺められます。日が落ち、薪に火が灯されると幻想的な雰囲気へと変化。幽玄な能の世界が繰り広げられていき、名城の夏の夜を彩る伝統芸能を、じっくりと堪能できます。

木曽川鵜飼いを見下ろす「犬山城」

現存する日本最古の天守を持つ城との説もあり、国宝にも指定されている「犬山城(愛知県犬山市)」は、木曽川の河畔にそびえ立つ小高い山の山頂に天守を構える美しい城。国内外から幅広い人気を集めています。春はサクラが、秋は紅葉が見事な「犬山城」は四季折々の魅力に満ちていますが、夏の「犬山城」に欠かせないのが、木曽川で行なわれる鵜飼いです。

最も古い記述では、奈良時代より以前の702年(大宝2年)の記録が残されている程の長い歴史を持つ「木曽川鵜飼い」。戦国時代に「犬山城」が築かれたのちに、犬山城下の川域で行なわれるようになりました。江戸時代後期の文化年間に中止されますが明治維新後に復活し、犬山市の観光の目玉のひとつとして、毎年5月11日から10月15日まで行なわれています。

「木曽川鵜飼い」は、昼鵜飼いと夜鵜飼いが行なわれ、それぞれに魅力を持っていますが、やはり夏は夜の鵜飼いが見もの。船首のかがり火が清流に映え、アユを次々に獲る鵜のダイナミックな姿を照らし出します。そして視線を上げると、夜空にライトアップされた「犬山城」が山頂に浮かび上がる姿が見事。中空の名城と川面のかがり火に照らされた鵜飼いの光景は、まるで一枚の名画を見ているかのような、幻想的な魅力に満ちています。


お城には、桜やもみじなどがたくさん植えられていることから、春や秋に訪れる人が多くいますが、夏には夏ならではのイベントが開催されているお城もあります。夏休みを利用して、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

名古屋城宵まつり

名古屋城宵まつり

金の鯱(しゃちほこ)でお馴染みの「名古屋城」は、愛知県名古屋市の中区と北区にかけてそびえ立つ国の特別史跡。「名城(めいじょう)」や「金城(きんじょう)」、「金鯱城(きんこじょう)」の名でも知られ、名古屋のシンボルとして親しまれています。

1610年(慶長115年)徳川家康公によって築城されて以来、明治に至るまでは大名が住む城としての役割を果たし、近代からは歴史的建造物として大切に保存されてきました。しかし第二次世界大戦下の1945年(昭和20年)の名古屋空襲では、本丸御殿を始め大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失。その後は募金や寄付などを募り、被害を受けた部分の多くが復元されて現在の姿に至ります。

そんな名古屋城では毎年8月上旬から中旬にかけて「名古屋城宵まつり」という夏まつりを開催。名古屋の夏の風物詩となっています。名古屋城の敷地内において、豪華ゲストが出演するライブステージや大盆踊り、ビアガーデンや屋台、参加型ゲームなど催し物が目白押し。ライトアップされたお城を眺めつつ、名古屋の夏の夜を満喫することができます。

夏空に映える姫路城

兵庫県姫路市にある「姫路城」は、ユネスコの世界遺産リストにも登録されるなど、世界的にも重宝されている歴史的建造物のひとつです。姫路城の築城は、1346年(南朝正平元年、北朝貞和2年)で、赤松貞範によって建てられました。当時は小規模なものでしたが、戦国時代から安土桃山時代にかけ、黒田氏や羽柴氏の手によって本格的な城郭に拡張。関ヶ原の戦いのあとには池田輝政が城主となり、現在私たちが目にすることができる姫路城の姿が完成したと言われています。

姫路城が国内外で重宝される理由として、築城以来天守などの建物が割と良い状態で遺されているという点です。江戸、明治、昭和、平成にかけてたびたび修理工事が行なわれてきましたが、幕末や第二次世界大戦のときに攻撃を受けながらも、甚大な被害を受けることがなかったためです。このことから、「不戦の城」とも呼ばれています。

そんな姫路城は、「白鷺城(はくろじょう、しらさぎじょう)」の別名を持ちます。この理由は、姫路城が置かれる「鷺山(さぎやま)」の名前であったり、ゴイサギなどの鳥が多く生息することなどと諸説ありますが、白漆喰で塗られた城壁の美しい外観を見れば、「白鷺城」と名付けられたのも納得です。また、壁だけでなく屋根の目地にも白漆喰が塗られているため、屋根までもが白く輝いて見えます。

どんな背景でも絵になる姫路城ですが、真っ青な夏空にはいっそう映え、青と白の美しいコントラストを楽しむことができます。

お城で楽しむ仮装体験

お城を眺めたり、歴史に触れて楽しむというイメージの強いお城ですが、レジャーとしても楽しめるよう体験メニューが用意されているお城もあります。特に人気なのが、戦国武将の兜や甲冑、打ち掛けなどの試着体験です。

「清須会議」など戦国時代の様々な場面において舞台となった愛知県清須市にある「清洲城」では、本格的な甲冑や打ち掛けを試着し、記念撮影を楽しむことができます。

また、江戸城、名古屋城に並んで三大名城のひとつに数えられる「大阪城」では、復元した戦国武将の兜を、陣羽織と共に試着できるだけでなく、豊臣秀吉を始め、真田幸村、加藤清正、黒田官兵衛などのそうそうたる武将の兜が選べるなど楽しさが満載。仮装体験以外にも、真田幸村合戦のシーンを、精巧なミニチュアで再現したジオラマがあるなど、子供から大人まで楽しめるようになっています。


夏の時期は、お城でも夜間にイベントやお祭りが開催され、昼間とは違ったお城を楽しむことができます。幻想的にライトアップされたお城と庭園を前に、先人たちはどんな夜を過ごしていたのかと、より想像力を掻き立てられます。そんな思いを馳せながら、夏の夜を過ごしてみてはいかがでしょうか。

夜間に楽しむ天守閣

夜間に楽しむ天守閣

夏の期間中は、天守閣への入場時間を延長したり、ライトアップしたりする城が多くあります。昼間の炎天下を避けて、夜間のほうがゆっくり見学でき、天守閣から夕暮れの街並みや夜景を楽しむことができます。

天守閣は、建築用語で「天守」と言われ、主に戦国時代以降に建てられた城に存在する建造物であり、今では城と言えば天守閣を指すようになっています。天守閣の目的と役割は、場内外の様子や敵の侵攻を見渡せる利点がありました。また、天守閣を建てるためには莫大な財力や人力が必要となるため、このような天守閣を建てられるほどの財力や人力を持っているという城主の権力誇示や象徴として建てられたとされています。このため、実際に城主が天守閣で生活していた例は少なく、主に物置などに使われており、生活や実務は本丸御殿で行なうことが多かったようです。また、場外の様子を監視したり、敵の侵攻を見張ったりするためには櫓(やぐら)のほうが実用的で、天守はランドマークやシンボルタワーのような役目を果たしていたとされています。天守閣を権力誇示に利用したのは織田信長が最初とされており、信長が建てた安土城は5層以上の立派な城だと言われています。その後、豊臣秀吉が城の権威を高めるために大坂城を築きましたが、大阪城では実際に生活もしており、諸大名もこれを見習ったとされています。

華美で雄壮な外観に比べ、内部は質素なものが多く、当時としてはあまりインテリアには凝っていなかったようです。しかし、江戸時代以降に建てられた天守の中には、書院造りを採り入れて、儀式や迎賓のために建てられた天守もありました。その他、有事の避難場所としても使われていたようです。

全国各地に天守閣を備えた城は多くありますが、創建当時の天守閣がそのまま現存している城は、弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、備中松山城(岡山県)、松江城(島根県)、丸亀城(香川県)、松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)の12城だけとなっています。これ以外は復元したり、独自に建てられたものがほとんどです。中には史実に基づいておらず、観光用として建てられた天守閣もあります。

天守閣から眺める風景を見ながら、こうした歴史話を思い浮かべるだけでも楽しいひとときです。

大坂夏の陣

大坂夏の陣

豊臣秀吉が建てた大阪城は、今や大阪市のシンボルとして多くの観光客を集めていますが、かつては豊臣家と徳川家の戦いの舞台となった城です。「大坂の役」とも言われるこの戦いは、1614年の「大坂冬の陣」と1615年の「大坂夏の陣」の2度にわたっています。特に「夏の陣」では、徳川家康が豊臣家に引導を渡した戦いであるとともに、これを最後に、戦国時代から続いた戦乱の世が終わりを告げるものでもありました。

「冬の陣」で必死に抵抗しながらも敗れた豊臣家は、徳川家から出された和議に応じ、大坂城は外堀を埋めることや人質を差し出すことなどを承諾しました。年が明けて1615年、埋めた堀を掘り返したり、浪人が乱暴を働いたりなど、大坂や京で不穏な動きがあるという知らせを聞いた家康は、名古屋で徳川義直の婚儀に出席したあと、京都の二条城に入りました。本多正信、藤堂高虎らと軍議を行ない、大坂に向かいました。豊臣家は徳川家との交渉を試みるも決裂し、再び相まみえることになりました。徳川軍の戦力が約15万5000人に対し、豊臣軍の戦力は7万8000人で、大坂城での籠城戦では勝ち目がないとみると、豊臣軍は野戦で対応しました。

堀を埋められた大坂城に、徳川軍は簡単に城内に侵攻し、何者かによって放たれた火の手が天守閣にも上がって、大坂城は陥落しました。この戦いにより、豊臣家は滅亡し、徳川家康は太平の続く時代を築きました。