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秋の日本の城情報

行楽の秋はお城へ行きませんか?紅葉が美しい日本の城へのお誘い



紅葉の時期に訪ねたい場所は色々とありますが、おすすめなのが日本の城です。お城のある場所には様々な種類の木々が植えられており、紅葉の季節になると美しい景色に変わります。また、お城の城壁と紅葉のコントラストも見どころのひとつ。この秋には紅葉が一緒に楽しめる、日本の城に行ってみましょう。

日本の城は紅葉でさらに美しい姿を見せる

日本の城は紅葉でさらに美しい姿を見せる

各地に残されている日本の城は、国内外から多くの人が訪れる観光名所。美しく壮大で威厳を醸し出すお城の周りは様々な種類の木々が植樹され、季節で変わる葉の色によって、お城の表情が変わります。お城を訪れるのに、特におすすめの季節は秋です。お城の周辺にある深紅のカエデやモミジ、黄色のイチョウなどが一斉に色づきを見せる姿は圧巻。さらに目を奪うのがお城の城壁の色と紅葉のコントラストで、紅葉の季節は美しい姿を撮影しようとお城に訪れる人があとを絶ちません。お城によっては紅葉の季節に合わせ、お城とのライトアップをしたり、関連のイベントを行なったりするところもあります。

長野県にある松本城は国宝に指定されているお城です。一年を通してライトアップをしており、夜でも美しいお城の姿を見ることが可能。松本城公園にはモミジとカエデが植えられていて、松本城の漆黒の城壁と紅葉の赤色がお互いを引き立てます。また、大阪城を囲む大きな都市型公園の大阪城公園は、天守閣前に樹齢約300年の大イチョウと、公園の外周にあるイチョウ並木が見どころ。他にも園内にケヤキやモミジなどが植えられ、季節が来ると鮮やかに色づくのが印象的です。白い天守閣と紅葉のコラボレーションが、あらゆるところから見ることができます。

さらに、岐阜県にある郡上八幡城で人気なのが、紅葉の季節に行なわれるライトアップ企画です。天守閣から見下ろす位置に植えられた木々が紅葉の時期を迎えると、ライトアップが天守閣と紅葉の姿を幻想的に演出。毎年イベント期間中は多くの人がこの郡上八幡城のライトアップを鑑賞しに訪れています。

黒いお城と白いお城がある理由とは

各地にあるお城は天守閣の城壁が白だったり、あるいは黒だったりと違いがあります。

兵庫県にある姫路城は、通称「白鷺城」と呼ばれる真っ白な城壁です。逆に、熊本城や松本城、松江城は真っ黒な城壁。松本城はその黒い城壁の見た目から「烏(からす)城」と呼ばれています。白と黒の城壁があるのは、そのお城が作られた時代が関係しているのです。

黒の城壁のお城は豊臣秀吉の時代に、白のお城は徳川家康の時代に建てられました。

豊臣秀吉の時代には熊本城、松本城、広島城、そして岡山城が築城され、すべて黒い城壁です。そして徳川家康の時代は高知城、姫路城、名古屋城と、白い城壁のお城が建てられています。また、豊臣秀吉の時代に比べ、徳川家康の時代では建築技術も進みました。

黒い城壁の黒のもととなっているのは漆です。漆は防腐剤の効果があるため、お城の城壁に黒漆を使用。これが徳川家康時代となると、漆喰に石灰が混ぜ込まれるようになり、これが火に強い効果を持っていました。城壁の白さは、石灰が入った漆喰によるものです。他にも、お城を黒くしたのには敵からお城を隠すため、白くしたのは実物よりも大きく威厳のあるように見せるため、といった視覚効果を図ったとも言われています。

日本のお城、実は古代からあった

日本の城と言うと戦国時代から江戸時代の間に建てられた、というイメージが強いですが、実は古代にもお城が建てられているのです。現存する天守閣の中で日本最古なのは福井県の丸岡城ですが、天守閣がないお城は飛鳥時代から建てられていました。

飛鳥時代のお城で代表的なのは福岡県の筑前大野城です。古代のお城は、山に築城されることが多かったため山城と呼ばれています。飛鳥時代から奈良時代にかけて建てられた山城は、朝鮮半島から日本に亡命した貴族が建設指導をしたと言われていて、朝鮮半島のお城によく似ているのが特徴。

奈良時代から平安時代には、東北に城柵と呼ばれるお城が建築されました。これは、蝦夷を攻略する拠点であったと言われていて、行政府の役割が強い宮殿のような外観。宮城県にある多賀城が代表的な城柵です。南北朝時代には、国内での戦争のためにお城が建築されました。大阪にある千早城や赤坂城は鎌倉幕府との戦いのために建てられたお城です。本格的な天守閣があるお城が建てられるようになったのは、安土城からと言われています。

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秋には各地で秋祭りが開催されますが、祭りのメイン会場がお城になっているところも多く、祭りとお城を同時に楽しむことができます。

会津まつりで賑わう会津若松のシンボル「鶴ヶ城」(福島県)

会津まつりで賑わう会津若松のシンボル「鶴ヶ城」(福島県)

幕末から明治時代初頭にかけて、旧江戸幕府勢力と明治新政府軍との間で起きた戦争を「戊辰(ぼしん)戦争」と呼んでいます。この「戊辰戦争」は、京都から関東、東北、そして北海道の函館まで戦場となり、その中でも特に激戦地であった福島県会津若松市では、毎年秋になると、戊辰戦争で命を落とした藩士たちの霊を鎮魂する「会津まつり」を開催。

この「会津まつり」では、特に会津藩の武士や大名に扮した「会津藩公行列」が人気で、「鶴ヶ城(会津若松城)」で出陣式が行なわれたあと、街中を行列が練り歩きます。「鶴ヶ城」は、南北朝時代である1384年(元中元年/至徳元年)が始まりと言われており、その後、安土桃山時代の1592年(文禄元年)に蒲生氏郷の手で大規模な城郭と城下町の整備が施され、現在の街並みの基礎が築かれました。その後、江戸時代初期の1611年(慶長16年)に起きた大地震のあとに新たな天守閣が築かれ、明治初期まで存続。しかし、幕末の戊辰戦争で傷んでしまったことにより取り壊され、1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造りで復興再建したのが現在の鶴ヶ城天守閣です。

5重5層の白壁が映える美しい天守閣は、会津若松市のシンボルとしてだけでなく全国の歴史ファンから大きな人気を誇っています。このため、一年を通じて観光客が訪れていますが、やはりこの城は「会津まつり」の時季に訪れるのがおすすめ。「白虎隊(びゃっこたい)」など、歴史の波に翻弄された会津藩のことを想像しながら、天守閣の威風堂々たる姿を見上げると、現在の平和がいかに素晴らしいことに気付くのではないでしょうか。

最古の天守「丸岡城」(福井県)の古城まつり

天守閣が現存する城は日本国内に12城ありますが、愛知県の犬山城と並び最も古い天守閣と考えられているのが、福井県坂井市の「丸岡城」です。織田信長の家臣・柴田勝家の甥の勝豊によって築かれた城で、正確な建造年は不明ながらその建築様式などから最古であるとされ、「大入母屋(おおいりもや)」の屋根の上に「回り縁(まわりえん)」を備えた「望楼(ぼうろう)」が載った形式は、犬山城と同様であることも根拠のひとつとされています。

この丸岡城で毎年10月に行なわれているのが、「丸岡古城まつり」です。お祭り前夜から城に灯りが点けられ、夜間の特別入場も行なわれます。古い天守閣の幻想的な姿を見ることができ、その長い歴史を耐え抜いてきた凜とした姿に心が動かされる人も多いのではないでしょうか。翌日、本祭の日を迎えると、「からくり人形山車(だし)」の巡業や「五万石パレード」など、子どもたちによる大名行列や武将行列、手作り鎧兜(よろいかぶと)の武将隊など、総勢100人によるパレードが開催されます。その豪華絢爛な風情は、丸岡城の長い歴史が誇る時代絵巻そのもの。秋の古城がひときわ映える賑やかな祭りです。

だんじり祭りが熱い!秋の「岸和田城」(大阪府)

大阪府岸和田市の秋の名物と言えば、「岸和田だんじり祭り」です。毎年9月に開催され、「だんじり」と呼ばれる地車を街中で走らせる豪快かつ勇壮な祭りで、全国の中でも人気があります。

「岸和田だんじり祭り」では、だんじりが岸和田市の中心部を駆け抜けますが、この岸和田の街並みは、安土桃山時代から江戸時代にかけて岸和田藩の城下町として栄えた町が下地となっています。この岸和田の中心にあるのが「岸和田城」です。「岸和田城」は、豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が織田信長とともに紀州(現在の和歌山県)に攻め入る際に拠点とした城をもとに、のちに豊臣家の家臣である小出秀政(こいでひでまさ)の手によって、5重の壮大な天守閣などが本格的に整備されました。しかし、江戸時代後期にあたる1827年(文政10年)、落雷によって天守閣は消失してしまい、その後1954年(昭和29年)に連結式望楼型の3重の天守閣を復興。これが現在見られる姿です。


各地にある城は、その地域のシンボル的な存在として多くの住民に親しまれています。そうした名高い城の陰には、築城の名人たちがかかわっていました。そのこだわりは、様々な城の特徴によって表現されています。また、天守とともに大きな役目を果たした櫓とともに、秋に訪れたい紅葉のきれいな城についてもご紹介します。

築城の名人

築城の名人

11月11日は「公共建築の日」に指定されています。公共建築は、地域の活性化や生活・文化水準の向上、街並みや町の景観を形成する上で大切な役割を果たしています。戦国時代から江戸時代にかけて建てられた日本の城は、今や都市や町のシンボルとして公共性の高い建築物で、名城と言われている城の多くは城造りの名人の手によるものが多いようです。

築城の名人としては、加藤清正、藤堂高虎、黒田孝高(官兵衛)が有名です。

加藤清正は、豊臣秀吉の家臣から徳川家康の家臣となり、関ヶ原の戦いで名を挙げ、熊本藩主にまで上りつめました。清正が造った城は城主を務めた熊本城をはじめ、江戸城、名古屋城など数々の築城に携わりました。特に、熊本城の石垣は優美にして堅牢で、西南戦争で天守や本丸御殿が焼失しても石垣のほとんどが残る程で、反りを重視した強固な積み方は「清正流」として名を馳せています。また、治水や新田開発など土木技術に長けており、城下町など地域の発展にも大きく寄与しました。

藤堂高虎は、伊勢津藩の初代藩主となった戦国武将で、浅井長政や豊臣秀吉、徳川家康と主君を次々と変えたことでも知られています。高虎が築城にかかわった城は、宇和島城今治城、津城、伊賀上野城などで、いずれも石垣を高く積み上げ、地形に合わせて堀を設計する方法に特徴が見られます。清正ほど優美さはありませんが、戦の砦としての役割が高く、今治城は海を最大限に活かした造りで、日本三大水城のひとつに数えられています。

黒田孝高は、軍師として辣腕をふるい、豊臣秀吉を天下人にしたことで有名な人物です。築城においても軍師ならではの才覚と視点を発揮し、中津城福岡城の築城の他、姫路城、大坂城、広島城など多くの築城に携わりました。

3人の武将が残した遺産の一部は、現在も多くの人を魅了し、いずれも名城として高く評価されています。

櫓の役割

秋の行楽で有名な城を見学に訪れる人も多いことでしょう。城内を見て回ると、高くそびえる天守とともに、天守を小さくした建物が見られます。天守を取り囲むように造られたこの建物は櫓と言って、名城と呼ばれる城のほとんどに設置されています。櫓の役割は、「矢蔵」「矢倉」などとも書かれ、主に城の防御施設であったり武具や物資の保管庫として設けられました。高台にある城では、敵の様子を観察したり、月や周囲の風景を見たりするための物見櫓が建てられるなど、城によっていろいろな櫓が建てられています。構造的には簡素なものが多いようですが、江戸城や大坂城、名古屋城など徳川家の天下普請で築かれた城は、天守と同じようにいくつかの部屋に分かれて多目的に使用されていました。形状も様々で、平屋建てから二層の櫓まであります。二階建ての櫓は重箱櫓と呼ばれています。また、櫓と櫓を繋ぐように建てられたものは渡櫓と呼びます。設置場所も様々で、城の方位に合わせて配置されたり、堀に面した石垣に設置されたりしました。

城に櫓が併設されたのは豊臣秀吉が天下を統一した天正年間の末期とされ、江戸時代以降は世の中も安定し、武家諸法度による新規の築城が禁止されたこともあって、次第に櫓も設置されなくなりました。また、明治時代の廃城令や戦災や火災などでの焼失により、現存する櫓はそれほど多くありません。現存する櫓の中で姫路城や松本城の渡櫓、彦根城の多聞櫓は国宝に指定されており、この他にも弘前城二条城、高松城、名古屋城、熊本城など18の城の櫓が重要文化財に指定されています。

紅葉がきれいな城

全国各地に紅葉スポットが数多くありますが、城と紅葉のカップリングはなかなかありません。岐阜県・金華山の頂上にそびえる岐阜城は、東海地区の紅葉スポットとしても有名で、ロープウェイから見る風景はなかなかの絶景です。城の周囲にも多くのモミジが植えてあり、白い城壁と赤の紅葉のコントラストは見応え十分です。福島県の鶴ヶ城では、城の前にある鶴ヶ城公園内に紅葉が多くあり、鮮やかな紅葉と鶴ヶ城が織りなす風景は、日本らしさを感じさせる風景で、夜にはライトアップされて幻想的な雰囲気を醸し出します。高知県の高知城も紅葉スポットとして知られており、城のある高知公園では、秋が深まると多くの木々が色づきます。イチョウの木が多く、落ち葉の時期になると黄色い絨毯がきれいです。イチョウの木と言えば熊本城も有名です。熊本城の前には大きなイチョウの木があり、色づく頃には熊本城をバックに黄色く色づいたイチョウの木を見上げる人も大勢います。

この他にも、山城なら紅葉とセットで見られることも多いでしょう。せっかく秋に城を見に訪れるなら、紅葉の時期を選ぶようにすると良いでしょう。


秋は、よく防災や文化に関することがクローズアップされますが、日本の城も建築的、文化的な観点で見ると、また違った魅力が発見できます。

城の耐震性

城の耐震性

9月1日は「防災の日」です。この日は1923年に関東大震災が発生した日です。近年でも、1995年の阪神・淡路大震災、2004年の新潟中越地震、2011年の東日本大震災といった大規模な地震が発生しています。そうした中で、日本の城は地震によって崩壊することもなく、400年余りの姿をとどめています。それだけ耐震性に優れた構造となっており、昔の人の技術の高さを思い知らされます。

城の耐震性は、主に石垣にあります。戦国時代に城郭が発達すると、石垣の技術も発達し、「石工」と言う城壁造りの専門家集団も現れました。石垣には、自然石をそのまま積み上げる「野面(のら)積み」や、石の角をなくして平たくして接合する「打ち込み接ぎ」、石を長方形などに加工して石同士を密着させて積む「切り込み接ぎ」の3種類があり、年代としては野面積みが最も古くなります。

石垣を造る時は、盛り土や斜面に段上の切り目をつくり、根石と呼ばれる底の部分に置く石を敷き、砂利などで隙間を埋めながら石を積み上げていきます。積み方には、大きな石が横に並ぶように積む「布積み」と、大きさの違う石を様々な方向に組み合わせて積む「乱積み」があります。積み方の工夫や技法を組み合わせることで、強固な土台ができ、地震にも耐えられる構造となっています。2008年、城の石垣の耐震性を測るために、大型振動台の上に実際に石垣を築いて振動を加える実験が産学協同で実施されましたが、その結果ではこれまで考えられていたより優れた耐震性を備えていることを確認されました。

道具や工法が十分でない時代でありながら、繰り返し発生する大地震にも耐えられるような強度を持った建造物を建てた先人たちの知恵や技術には、改めて驚かされるところです。

文化財としての日本の城

文化財としての日本の城

芸術の秋とあって、城にも多くの人が観光で訪れます。文化財としても希少価値が高いため、ほとんどの城が国宝や重要文化財など文化財として保護されています。

日本の城の中で天守が現存しているのは、弘前城(青森県)、松本城(長野県)、犬山城(愛知県)、丸岡城(福井県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、松山城、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)の12城です。このうち、松本城、犬山城、彦根城、姫路城が「国宝」に指定されており、残りの8城はいずれも「重要文化財」に指定されています。さらに、姫路城はユネスコの世界遺産にも登録されています。

戦国時代から江戸時代にかけて、大小含めて全国に数多くの城がありましたが、そのほとんどが江戸幕府の一国一城令によって廃城になり、同時に武家諸法度で新たな城を造ったり増改築したりすることが禁じられたため、維持や管理ができない城もあり、数が大幅に減少しました。さらに明治に入ると、明治政府が廃城令を出して城郭などの建造物を取り壊し、土地の払い下げを行ないました。その後も火事や落雷などで焼失したり、第二次世界大戦で空襲を受けたりしたものもあり、当時の面影をとどめている城はわずかとなりました。戦後に復元されたり、新たに建てられたりした城のうち、歴史的・学術的に価値の高いものは、「特別史跡」や「特別名勝」に指定され、文化財保護法の対象となっています。

天守や石垣など建造物以外にも、城内の襖絵や障壁画、瓦、工芸品などが文化財に指定されており、有名な絵師に描かせた襖絵や障壁画は、歴史的・芸術的にも価値が高いとされ、文化財保護法の対象となっています。この他にも、地方自治体で保護している建造物や工芸品もあり、城は日本文化の象徴とも言えます。