日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第41問 市民たちの運動で市街地に復元された城はどれ?

正解 A.宇都宮城

<解説>

宇都宮城の築城は平安時代にまで遡り、藤原秀郷(ふじわら ひでさと)または藤原宗円(ふじわらのそうえん)が築いたという説があります。以来、宇都宮の政治と文化の拠点としての役割を果たしてきました。鎌倉時代から戦国時代までは、この地を治めていた宇都宮氏が城主でしたが、豊臣秀吉によって滅ぼされると、江戸時代には譜代大名が次々と入城。

中でも本多正純(ほんだ まさずみ)は城と城下町の大改修を行ない、今日の宇都宮市街地の骨格を造り上げたと言われています。また、宇都宮城は歴代の将軍が祀られている日光東照宮に参拝するための宿として用いられたため、本丸には将軍専用の「御成御殿」が建てられました。宇都宮城と城下町の改修に力を入れた本多正純でしたが、1622(元和8)年に徳川幕府二代目将軍・秀忠を本丸御殿の釣天井で暗殺しようとした疑いで改易に。世に言う「釣天井事件」ですが、現在は伝説であると考えられています。

堅牢な城として知られた宇都宮城も1868(慶応4)年に起きた戊辰戦争で攻防の舞台となり、多くの建物を喪失。堀や土塁も壊されて当時の面影がすっかりなくなってしまったことを嘆き、市民たちが立ち上がりました。宇都宮市制110周年を迎えた2006(平成18)年に、140年の時を経て宇都宮城を復元。本丸の半分が復元され、水堀や土塁、二重櫓などが市街地にそびえ立っています。

本多正純が築いた宇都宮城を市民の力で復元

宇都宮城は、徳川家康の「懐刀(ふところがたな:腹心の部下)」と言われた本多正純が15万5千石で入城し、近世城郭へと整備しました。縄張りを拡張して新たに曲輪を設け、本丸などの周囲を掘り、湧き水を巡らせて水堀にし、掘った土を高く盛り上げて土塁としました。一方、日光街道と奥州街道を整備して町割を行ない、延命院や長楽寺などの寺社群を街道沿いに配置して防御性を向上させています。

正純は幕府の意向に準じて天守を設けず、二層二階の「清名台櫓」を天守の代わりにしました。その後、意に反して正純は改易されてしまいましたが、正純が築いた城下町は都市として栄え、幕末を迎えます。しかし、戊辰戦争が勃発すると城だけでなく街並もろとも焼失。第二次世界大戦後には、城の遺構も撤去されて水堀も埋め立てられてしまいました。現在は、市民らの運動で本丸土塁の一部、土塁上に建つ富士見櫓、清名台櫓、土塀などが復元されています。復元された櫓と土塀は、木造本瓦葺きの白漆喰総塗籠仕上げで、木材は栃木県内産を多用。宇都宮市のシンボルとして新たな歴史を歩み始めています。

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