日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第39問 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍の拠点で、東北三大石垣名城に数えられる城はどれ?

正解 C.白河小峰城

<解説>

白河小峰城は、薩摩藩と長州藩を中核とした新政府軍と旧幕府勢力、及び奥羽越列藩同盟が戦った「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」で、奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防戦の舞台となりました。1868(慶応4)年の白河口の戦いで大半を焼失して落城しましたが、明治の廃城令で存続されることとなった城です。

盛岡城、若松城と並んで東北三大石垣名城のひとつに数えられ、五角形に近い縄張りを持つ総石垣造りの近世城郭で、本丸正面の水堀からそびえ立つ高石垣は日本を代表する典型的な横矢枡形になっています。戊辰戦争で焼失した三階櫓は、1991(平成3)年に古図をもとにして再建されました。2011(平成23)年の東日本大震災で一部が崩壊しましたが、修復工事が進められており、現在は入城が可能となっています。

白河小峰城
白河小峰城

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三重御櫓は戦後に復元された木造天守の第一号

白河小峰城は、南北朝時代に築城されたと言われています。その後、白河氏の本拠となり、伊達氏に屈服しつつも守り続けていましたが、豊臣秀吉による奥羽仕置のときに城主の白河結城氏が改易され、会津領となりました。蒲生氏、上杉氏、再び蒲生氏の支配が続き、1627(寛永4)年に丹羽長重(にわ ながしげ)がこの地に転封となると、1629(寛永6)年より幕府の命令で大改築に着手。およそ3年の年月をかけて今に見る総石垣の城が完成しました。石垣は表面が「切込接(きりこみはぎ)」で裏側が「打込接(うちこみはぎ)」と言う構造で、盛岡城と並んで壮麗な景観を誇ります。

ほぼ垂直に建ち、特に清水門正面の高石垣は迫り来るような凄まじさ。櫓を建てる代わりに横矢枡形(よこやますがた)を設け、ここから側面射撃を加えるように設計されています。 天守はなく、「三重御櫓(さんじゅうおやぐら)」と呼ばれた三階櫓が実質的な天守でした。戊辰戦争によって焼失し、長い間存在していませんでしたが、1991(平成3)年に再建。昭和に復元天守は多数造られましたが、それらはすべて鉄筋コンクリート造りで外観だけの復元。

白河小峰城の三階櫓は、戦後復元された天守相当の建造物第一号で、数少ない木造復元天守です。復元の用材に戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使っているため、弾傷や鉄砲の鉛玉が生々しく残っており、激しい戦闘の傷跡を確認することができます。

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