列島縦断城クイズ 第38問-正解A.箕輪城/ホームメイト
日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第38問 武田信玄が大改築し、江戸時代になって井伊直政が近世城郭化した城はどれ?

正解 A.箕輪城

<解説>

白川の河岸段丘を活かした要害で、1500(明応9)年頃にこの地を治めていた長野氏が築城したと言われています。その後、1566(永禄9)年に武田信玄(たけだ しんげん)が長野氏から城を奪い大改築。武田氏が滅亡したあとは後北条氏の支配下になりましたが、1590(天正18)年に徳川家康の領国になり、井伊直政(いい なおまさ)が城主となりました。

現在の箕輪城は、武田氏が築いた中世城郭を井伊直政が近世城郭として手を加えたものです。関東の城では珍しく、石材を多用して石垣や礎石建物を築きました。群馬県屈指の名城として、国の史跡にも指定されています。

関東地方では唯一現存する武田流の丸馬出

長野氏から箕輪城を奪った武田氏は、上野支配の拠点として位置づけ、実戦経験をもとに防備を強化しました。西側の断崖絶壁に対し、南東は防御性が低いことから、大堀切を構築。その長さは250メートルを誇り、幅は約25メートルもあります。この大堀切で二の丸の南側を囲み、武田流築城にのっとって馬出を設置。本丸の北西部には自然の地形を活かした丸馬出も残っています。これは関東地方では唯一の現存事例。

ただし、井伊氏の時代に築かれたと言う説もあります。井伊直政が城主になると、石垣や石畳を持つ門を築き、大改修しました。ところが、1598(慶長3)年に井伊直政が高崎城を築いて移転すると、箕輪城は廃城に。豊臣秀吉の意向で取り立てられた箕輪城を廃城にして、新体制を確立しようとした徳川家康の意図があったとも言われています。

クイズトップに戻る