B.志賀親次 Bの志賀親次(しが ちかつぐ)は、1566(永禄9)年に大友氏の家臣・志賀親度(しが ちかのり)の子として誕生。1585(天正13)年にキリシタンとなりました。1586(天正14)年に豊薩合戦で薩摩の島津氏が豊後国に侵攻してくると、父の親度が島津氏に味方する一方、親次は居城である岡城に籠って徹底抗戦し、島津の大軍をわずかな兵力で撃退。父の親度を自害に追いやりました。この戦いで見事な采配を振るったことから、豊臣秀吉から絶賛され、敵将の島津義広からも「天正の楠木」と讃えられたそうです。