<解説>
小浜城は、若狭国(現在の福井県西部)で唯一の近世城郭です。関ヶ原の合戦で功績を挙げた京極高次(きょうごく たかつぐ)がこの地を与えられ、居城となった後瀬山城(のちせやまじょう)に代わり、小浜湾と北川、南川にできた三角州に新たな居城を構えようと、1601(慶長6)年から築城に着手しました。太平の世に入り、防御性よりも行政での利便性を重視していたようです。
2代にわたって工事を行なってきた京極家ですが、1634(寛永11)年に城の完成を見ぬまま出雲国松江藩へと転封。代わって酒井忠勝(さかい ただかつ)が入城し、城の整備拡張を進めました。城がようやく完成したのは1641(寛永19)年と、着工からすでに40年も経過。酒井家の居城として明治時代に入り、廃城となるまでは三重の天守があったそうです。
かつては四面を水に囲まれていましたが、現在は民家に取り囲まれ、水城の佇まいは消え去っています。しかし、本丸の周囲を巡る石垣や、本丸へと続く3つの虎口、天守台などは現存し、見応えがあります。明治時代に失火で大部分の建物を焼失し、残った天守も撤去されました。
藩校だった「順造館(じゅんぞうかん)」正門が福井県若狭高校の正門として移築され、本丸跡は酒井家小浜藩祖・忠勝を祀る小浜神社の境内となっています。