日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第32問 次のうち、日本一最小の現存天守を持つ丸亀城(まるがめじょう)を築いた人物はどれ?

正解 C.生駒親正(いこま ちかまさ)

<解説>

美濃国可児郡(現在の岐阜県可児市)に生まれ、1566(永禄9)年に織田信長の臣下として美濃攻めに加わりました。

その後、様々な戦に参加し、信長の死後は豊臣秀吉の家臣として着々と石高を増やしています。1595(文禄4)年に讃岐国17万石余りを与えられ、1597(慶長2)年に高松城の支城として丸亀城を築城。1615(元和元)年に幕府の一国一城令が発令されると一度は廃城になりましたが、その後復活したという珍しい経歴を持つ城です。丸亀城に現存する天守は、生駒氏のあとに城主となった山崎家治(やまざき いえはる)を経て、1658(万治元)年に城主となった京極高知(きょうごく たかとも)が建てました。

幕府の規定によると三階櫓の位置づけですが、代用天守としての威厳を放つため、様々な工夫を施しています。この日本一小さい現存天守ももちろんのこと、大手門もぜひ見ておきたい遺構。典型的な枡形門で、完璧に現存するものとしては、ここでしか見ることができません。

丸亀城

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密集した建造物と石垣が創り上げる独特の景観

生駒親正は、豊臣政権下で三中老になるまで出世しました。とても慎重な性格の持ち主で、関ヶ原の合戦後も生駒氏が存続するように、自らは西軍、子の一正(かずまさ)は東軍につかせるなど、どちらが敗れても良いように配慮した程です。丸亀城の高石垣を「私ならば鉄棒一本あれば登れる」と豪語した石工の羽坂重三郎(はさか じゅうざぶろう)を警戒し、殺害したと言う伝説も、その性格を表しています。

この石垣は複雑に折り重なり、約60メートルの比高差があり、その存在感は圧倒的。典型的な平山城ですが、標高が高くて敷地が狭いため、建造物と石垣が密集して独特の景観を創り出しています。構築技術が最も高い時期に築かれた石垣は、迫力がありながら繊細さもかね備え、日本一美しいと言っても過言ではありません。

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