日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第17問 『天空の城』、『日本のマチュピチュ』と呼ばれ、雲海に浮かぶ姿が人気の山城は、次のうちどれ?

正解 A.竹田城

<解説>

『日本のマチュピチュ』とも呼ばれる人気の山城は、Aの「竹田城(たけだじょう)」です。
竹田城は兵庫県朝来(あさご)市にある山城で、室町時代、1431(永享3)年に但馬守護の山名宗全(やまな そうぜん)によって築城されたという伝承が残っています。

この城の見所は、なんと言っても天守台からの眺め。
秋から春にかけて見ることができる雲海は、9月から11月の間が特に美しいと言われ、幻想的な景色を楽しめます。城の南東部にあたる立雲峡や北西側の藤和峠からは、雲海に浮かぶ城跡を眺めることもでき、人気の撮影スポットとなっています。

また、竹田城の石垣は、安土城と同じ積み方で、石工集団の穴太衆(あのうしゅう)によって積まれたと言われています。
崩れにくく水はけが良いことから、400年以上経った今日まで完全な姿をとどめています。

竹田城
写真提供 吉田利栄

軍事的な拠点から、資源を守る城へと変化した『竹田城』

「竹田城」は、播磨国と但馬国の国境にあり、播磨国の守護職であった赤松(あかまつ)氏と、但馬国を支配していた山名氏の間の戦の最前線として、重要な位置を占めていました。
この頃の城は竹田城を含めて、ほとんど砦のような城で、石垣の天守もありません。
山名氏は1441(嘉吉元)年の嘉吉の乱をきっかけに赤松氏を破って播磨国の守護になります。

その後、竹田城の城主は、築城に携わった山名氏家臣の太田垣(おおたがき)氏が代々務めていましたが、1542(天文11)年、山名祐豊(やまな すけとよ)がこの地に生野銀山を発見すると、天下統一を目指した織田信長や羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)はこの地域を見逃さず、秀吉は二度にわたって侵攻します。
1577(天正5)年には、山名氏の竹田城を攻め落とし、弟の秀長(ひでなが)を城代に据え、支配しました。
1585(天正13)年、秀吉に投降した赤松広秀(あかまつ ひろひで)が城主となり、現在の姿である天守台を含めた城に改修されました。

1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いで、広秀は西軍に味方しましたが、徳川方の亀井茲矩(かめい これのり)の誘いで東軍に寝返り、鳥取城攻めに参加し落城させます。
しかし、鳥取城下町を焼き払ったことが家康の逆鱗にふれ、広秀は切腹となり竹田城はそのまま廃城となります。
以降、この地域と生野銀山は、徳川幕府によって佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び、天領として支配されることになり、軍事的な拠点から資源を守る城へと変わりました。

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