<解説>
正解はAの織田信長(おだ のぶなが)です。
織田信長は、天下統一を自ら示すものとして、琵琶湖東岸の安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町)に、安土城(あづちじょう)を築城しました。
大阪城は、織田信長が苦戦しながらも勝ち取った石山本願寺の跡地に、信長のあとを継いで天下統一を果たした豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)が築城した物です。
豊臣政権の居城として使われてきた大阪城でしたが、秀吉の死後、徳川家康が関ヶ原の合戦で豊臣方を含む西軍に勝利したのち、大阪城は攻め落とされ、豊臣家は滅びました。 その後、江戸幕府を開いた家康は、大阪を幕府直轄とし、大阪城の城主には徳川将軍家の歴代将軍自身があたっています。

秀吉が築いた大阪城は、本丸を中心に同心円状に内堀と外堀を配した、非常に規模の大きな城でした。完成に約15年を要したその規模は、面積が現在の大阪城の約4~5倍という広大なもので、実に東京ドームの100個分近くの広さがありました。また堀の幅も桁違いに広く、内堀で40メートル以上、外堀では100メートルを越える場所もあったようです。
さらに、場所によっては深さが20メートル以上ある堀もあり、まさに難攻不落と言える城でした。
このため、1614(慶長19)年、大阪冬の陣では、豊臣方として大阪城で徳川方を迎え撃つ準備をしていた真田幸村(さなだ ゆきむら)らが、大阪城に籠城するのではなく、相手の戦力が揃わないうちに先制攻撃を仕掛けるように主張しましたが、大阪城に絶大な安心を持っていた豊臣家の側近たちによって却下されたと伝えられています。