日本の城

目指せ!天下統一!列島縦断「城」クイズ!

第七問 上杉謙信の居城として知られる城は、次のうちどれ?

正解 B.春日山城

<解説>

春日山城(かすがやまじょう)は上杉謙信(うえすぎ けんしん)の居城として有名ですが、もともとは上杉謙信の父・長尾為景(ながお ためかげ)が、直江津の守りを固めるための要害として春日山に築かれた城で、越後守護代であった長尾氏(上杉氏)が受け継いでいました。
のちに上杉謙信が拡張工事を行ない、あとを継いだ上杉景勝(うえすぎ かげかつ)が居城とした頃に最も栄えたと言われています。

春日山城は山城の中でも尼子(あまこ)氏の月山富田城(がっさんとだじょう)と並ぶ程の難攻不落の城と言われています。
自然の地形を活かした郭、空堀、土塁などが無数に築かれていて、現在でもその痕跡を見ることができます。

1598(慶長3)年、秀吉の命で上杉景勝が会津若松に居城を移したあと、堀忠俊(ほり ただとし)が越後を支配し、平地に福島城を建設して居城を移したため、春日山城は廃城となりました。

難攻不落の城「春日山城」

春日山城は、春日山の山頂(標高180メートル)に本丸があります。敵からの侵攻に対抗するため、麓から番所、南三の丸、柿崎(かきざき)屋敷などを配置し、いくつもの屋敷を通らなければ本丸に行き着くことはできない複雑な構造となっていました。
また、至る所に空堀や土塁を巡らし、本丸への道は、「油流し」と呼ばれる急斜面を施すなど、山全体に防御策を張り巡らせていました。
さらに、山の裾野を総延長1,200メートルの堀で囲んでいたことなどから、難攻不落の城のひとつに数えられるようになりました。
今でも春日山城跡へ登っていくと、空堀や土塁などの遺構が一部残っており、春日山城の歴史に触れることができます。

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