<解説>
忍城(おしじょう)は、現在の埼玉県行田市にある、「関東七名城」のひとつです。
1590(天正18)年、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の小田原討伐の際、豊臣方の総大将である石田三成(いしだ みつなり)は近くを流れる利根川を利用して、「忍城の水攻め」を行ないました。
この一部始終を忍城側から描いた作品が、『のぼうの城』(和田竜/小学館)です。
この作品の中で登場する、忍城の領主かつ総大将である成田長親(なりた ながちか)は、将たる武勇も智謀も持っておらず、民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれるような頼りない男として登場しています。
しかしながら、長親は民から慕われる厚い人望を持っており、その人望と個性豊かな家臣たちを武器に、わずか500の手勢で2万を超す豊臣軍を相手に奮闘する姿や生き様が活き活きと描かれています。また、『のぼうの城』は映画化もされており、忍城や水攻めのシーンなどが大スケールで再現されています。

忍城で有名なのが「忍城水攻め」で、「日本三大水攻め」のひとつに数えられています。
忍城の周囲は、沼地・低湿地で囲まれているため攻めにくく、豊臣秀吉が総勢2万を超える軍勢を石田三成に指揮させ城攻めをさせたものの、なかなか落城しませんでした。
そこで三成は、秀吉の備中高松城の水攻めにならって、水攻めにする作戦を決行。近在から10万の人夫を集め、わずか5日で総延長28キロメートルに及ぶ堤防を完成させました。
しかし、周りの湿地より少し高いところにあった忍城はなかなか水をかぶらず1ヵ月以上も持ちこたえ、先に本城である小田原城が落城してしまいました。
このことがきっかけで忍城は「浮き城」と呼ばれるようになり、その名を世に知らしめました。
現在、三成がその戦で築いた堤防の一部が遺構として残存し、「石田堤(いしだつつみ)」と呼ばれています。また、石田堤の一部を整備し、「石田堤史跡公園」となっています。
作品に触れてから現地を訪れると、感慨もひとしおかもしれません。