清洲城

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【天守閣】 大手門から撮影した復興天守閣です。名古屋城築城のために、清洲城も築城の建材として利用されました。 |
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【朱塗りの大手橋】 記念撮影のメッカである大手橋(北西方面)から復興天守閣を望みます。天守閣左に見える低い屋根が芸能文化館です。 |
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【織田信長の墓】 清洲古城跡にある織田信長の墓です。 |
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【日本庭園】 小さな東屋と池、そして石が設けられています。 |
【解説】
清洲城は室町幕府の官僚で尾張・遠江・越前の守護であった斯波義重により建てられました。
その後、織田大和守が守護代となって居城しましたが、ついで家臣織田信秀が斯波家三奉行のひとつ、
清洲奉行として居城しました。
信秀が古渡城に移ると織田信友が入城しましたが、1555(弘治5)年織田信長が信友を攻め清洲を奪い那古野城から移って城を大改修しました。
約10年間居城したあと、小牧山城に移ると番城となりました。
城主であった織田信長が本能寺の変で自刃したことで、次男信雄が城主となり、1586(天正14)年大改築され、内・中・外の三重の堀を構え天守や子天守を建造し、大城郭に生まれ変わります。
このときの城下の範囲は東西1.6キロメートル、南北2.8キロメートルに及んだと伝えられています。
【データ】