伊賀上野城

【解説】
1608(慶長13)年、豊臣秀吉の没後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が政権を握り、その地位を確立するに及んで、伊賀・伊勢の城主として藤堂高虎が伊予から移ってきました。
高虎は「津は平城なり。当座の休憩所までと思うべし。伊賀は秘蔵の国、上野は要害の地、根拠とすべし」との家康からの密名を受け、古城を拡張するため大改修に力を注ぎました。
城下町を南に移し、完全武装した軍備の町も建設しました。また、五層の天守も築きましたが、1612(慶長17)年竣工直前に暴風雨のため天守が倒壊した後、1935(昭和10)年には復興天守が建てられ、藤堂高虎の石垣と共に大きな見所となっています。
【データ】
- よみ:
- いがうえのじょう
- 所在地:
- 三重県上野市丸ノ内
- 別名:
- 白鳳城
- 建造物:
- 平山城・観光用模擬天守